冷徹上司の氷の瞳が溶ける夜
結局九条は、言葉通り10分後に麻子を医務室へと送り届けた。
本当に、課長は課長だ……。
医務室のベッドに横たわり、天井を見つめる。その白い面がスクリーンみたいで、気を抜くと九条の姿が映し出されてしまう。それを掻き消すため、瞼の上に腕を置いた。
課長を好きになったところで、何かを期待できる恋でもない。むしろ、相手にとって迷惑になる想い。
副社長の娘との結婚は、九条のキャリアにおいて有益なのは間違いない。九条も彼女のことを好きだとしたら、こんなにいい話はない――。
――トントン。
カーテンの向こうからドアをノックする音がした。
「――失礼します」
丸山の声か。
「中野さーん、大丈夫ですか?」
続いて、遠慮がちな抑えめの声がする。
「丸山君?」
「中野さん、起きてましたか?」
「うん」
「じゃあ、そっち、行ってもいいですか?」
少しの間の後、そう聞いて来た。
「うん、いいよ」
上半身を起こしていると、カーテンが開いた。
「大丈夫ですから、そのまま寝ててください」
現れた丸山が、慌てたように手を伸ばして来る。その手が麻子の肩に触れた。
「ううん、もう大丈夫。少し寝たらすっきりした」
そう笑って見せると、複雑な表情を浮かべて丸山が手を離す。
「課長から、中野さんが体調崩して医務室に行ったって聞いて。朝から顔色良くなかったし、心配になって来ちゃいました」
「心配かけてごめんね。さすがに疲労が溜まったのかも。でも、ほんと、もう大丈夫」
丸山はこういうタイプだっただろうか。もっとドライな人間のイメージだと思っていた。
「ならいいんですけど……」
少しウェーブがかった前髪からのぞく目が、麻子の顔をじっと見つめる。
「な、何?」
「……さっき、課長と何かありました?」
「何かって? 別に何もないよ」
瞬きひとつしない眼差しに、思わず思い切り視線を逸らしてしまった。
「そうですか。だったらいいんです」
顔に出てるの?
何で? どうして、そんなことを言い出したの?
「会議室の鍵も課長が返したとのことですから、中野さんはゆっくり休んでて大丈夫です。後のことは、俺で出来ることはしておくんで」
「あ、ありがとう……」
俯きながら答えると、不意に何かが頬に触れた。
「顔が赤いですよ。それに熱い。弱ってる中野さん、なんか可愛いですね」
撫でるように手のひらを滑らせ、丸山がそんなことを言った。
「何、言ってるの? 先輩をからかうもんじゃないよ。もう、いいから戻って」
「別にからかってませんけど」
丸山の手を振り払う。
「じゃあ、行きます」
丸山にとっては何の意味もない行為なのだろう。でも、丸山に触れられたことで実感してしまう。
九条に触れられた時と全然違うということ。
九条には肌に直接触れられた訳ではないのに、胸が一杯になった。これまで、誰かを思ってこんなにも胸を締め付けられたことはない。
一体、これからどうするの――?
真っ白なシーツに突っ伏す。