冷徹上司の氷の瞳が溶ける夜
「あの人、20代の頃から副社長からも直々に目をかけられたっていうじゃない? どうやったら私たちの年代で副社長に会えるのよ」
33歳という年齢で、うちの花形部署の課長のポジションを得ていることからもどれだけ上層部から期待されているかがわかる。
エリートコースを最短で駆け上っている。
これまで、ビッグプロジェクトに全部関わってきたという話も聞いたことがある。当然最年少で海外駐在も経験済み。
「今、噂になってるでしょ? 麻子の課で、社をあげてのビッグプロジェクトが立ち上がるんじゃないかって」
「ビッグプロジェクト? 何、それ」
そんな話、全く知らない。
「え? まさか知らないの?」
大袈裟に美琴がのけぞる。
「……知っての通り、九条課長が来てから、もう目の前の仕事に精一杯で」
ミスが許されないから、仕事に対する緊張感は半端ない。
「800億規模の投資事業。だから九条さんが麻子の課の課長になったらしい。前任の課長では実力不足だと上層部は判断した。社運をかけたプロジェクトだもん。失敗は許されない」
九条課長の前任者も決して無能だったわけではない。同期の中では間違いなく出世頭だったはずだ。有能なだけではなく寛大な性格でもあって、その頃の課内は和気藹々と平和だった。でも、その課長よりもさらに九条の方がやり手だったということだ。
「……さすが美琴。情報通」
いつも社内のあらゆる情報を美琴が提供してくれる。そういうことに疎い麻子にはありがたかった。
「うちの課長がめちゃくちゃ悔しがってたからね。勝手にそっちの課をライバル視してるし」
そう言って美琴が笑った。
「だから、麻子ももっともっと大きな仕事できるんじゃない? ただでさえ、社員みんなの憧れの部署にいるんだし」
「……それだけ大きな事業費が動く仕事だと、私みたいな平社員が判断したりする仕事なんてないわけで。この課に来て2年目だけど、現実を知る毎日よ」
水滴がまとわりついたジョッキを指で撫でる。
毎日、資料作り、データ入力、報告書作成、管理部門との調整、会議、出張の段取り……はっきり言って、雑務ばかりだ。周りが思い描いているような華々しい仕事はない。
「まあ、でもそれが嫌なわけじゃないから、いいんだけどさ」
世間一般よりもかなり高い給料を得ていることに満足している。そこにやりがいなんてものまで求めたらバチが当たるというものだ。