冷徹上司の氷の瞳が溶ける夜


「少なくとも、一番社で利益を上げている部署にいる。上司は社内一有能。得られる経験もスペシャルだよ。頑張んなよ」
「うん。目の前の仕事を精一杯やるだけ。“目の前のことを死に物狂いでやれない奴は何も成し遂げられない“!」
「何、それ」
「私の座右の銘」

そう答えると美琴が声をあげて笑った。

「さすが、ド根性女だ」
「根性しか取り柄がない、とも言える」

これまでの人生、ただただ泥臭く根性だけで生きてきた。
 大手総合商社というところは、社員皆が生まれも育ちもいいエリートたちばかりだ。その環境の中で疎外感を感じることがある。それはどうしたって拭えないもので仕方がないものだと納得もしている。
 
「根性あるから、九条課長の毒舌にも明るく耐えられる。潰されない。絶対、麻子のこと認めさせてやりなよ。それに――」

そこで、美琴の目が怪しく光る。

「好きだった九条さんが直属の上司になったんだもんね。いつも以上に頑張れちゃうよね」
「は、はぁっ?」

他の客の迷惑も顧みず大きな声をあげてしまった。

「か、勝手なこと言わないで! 好きとかそういうんじゃない。昔、ちょっと憧れてただけで、それすらずっと前のことだし」
「そんな大きな声あげて、焦っちゃってさぁ。ますます、あやしー」
「からかわないで」

美琴の視線から逃れるように、ぬるくなったビールを飲み干した。

「遠い人だったのが近い存在になっちゃったら、忘れてた気持ちが膨らんじゃうんじゃないの〜?」

完全に人のことで面白がっている。

「そんなわけない! あの九条さんだよ? 身も心も氷点下の人だよ? あのレンズの向こうの目に見られた時、どれだけ固まると思ってんの!」

怖いくらいに美形で、怖いくらいに冷たい容姿。180センチを超える長身に、無駄の一切ないスーツ姿。切り整えられた黒髪は寸分の乱れもない。切れ長の目は鋭く、触れたわけでもないひんやりとして。この人に感情というものは存在するのかというほどに人間味がない。

メタルフレームのメガネが、隙ひとつない見た目をより鉄壁にする。

好きな人だなんて、恐れ多いどころの話ではない。

「社内では、実は人間じゃないんじゃないかって言われてるしね。別名『絶対零度のアンドロイド』みんな陰で、そう言ってる」

アンドロイド……確かに的確な命名かも。

「ついでに、麻子がアンドロイドを人間にしてあげたら?」
「いい加減にして」

何がついでにだ。

麻子が初めて九条に会ったのは、入社間もない4年前のことだった。

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