冷徹上司の氷の瞳が溶ける夜


 そうして接待の日が来た。就業後、九条と共に社を出る。

「今日の一番の目的は、相手にうちとの契約を決めさせることだ。久留米常務は決定権者の一人。常務が第一関門だ」
「はい」

高級レストランの最上階、夜景が広がる特別室。その場所からも相手先の重要度がわかる。

「君は、接待の経験は?」
「ほとんどありません。これまで大きな案件の末席業務しかしてこなかったので……」

少人数での接待にいたっては、初めてのことだ。

「時代は変わったと言っても、まだまだ古い考えを持っている企業は多い。今回の久留米常務は特にそうだ」

九条が歩みを止め麻子を見た。

「そのことは頭に入れて、気をつけろ。何かあったら、隙を見てすぐに私に言え」
「……はい」

坂田の話を聞いている。それなりの覚悟はしてきたつもりだ。


 ブライト社の久留米常務と吉野部長を出迎え、接待が始まった。

「――九条さんの噂はよく聞いてますよ。丸菱の超やり手だとか」
「私も、久留米常務の業界での手腕を多方面から聞いております。こちらとしても、ビジネスパートナーとして御社以上のところはないと確信しております」

自己紹介もそこそこに、すかさず日本酒を差し向けながら九条が話を進めていく。

「えぇ? 本当かい。君にそこまで言ってもらえるのは嬉しいねぇ」

久留米常務も既に上機嫌だ。

「御社の強み、これは日本国内、いや世界のどこを見ても勝てる企業はない。そこを、我が社なら、さらに唯一無二のものにできます」
「断言するね」
「もちろんです。私は自分が成功を確信できないことは一切しない主義ですから」

食事と酒を進めながらも、仕事の核心部分にどんどん食い込んでいく。

接待とは、仕事とは関係ない部分で相手に心を開かせてから核心に触れるのだと思っていた。
だから、先輩たちから接待の苦労話や逸話がたくさん転がっていたのだ。なのに、九条にはそれがない。

それでいて、相手は九条の話に聞き入っている。

課長、さすがだな――。

麻子は隣の九条のやりとりを聞きながら、アシストするようにスムーズに酒を出す。

「――いやぁ、九条さんは噂以上の人だ。君の能力に間違いない。我が社にすぐに引き抜きたいくらいだ」
「常務にそのように言っていただけると、私も自信になります」

常務は本当に酒が好きな人のようだ。それに強い。

「是非に丸菱さんと仕事がしたい。いや、九条さんと仕事がしたい」
「ありがとうございます――」

そう答えると、九条がジャケットの胸ポケットに手を当てた。スマホらしきものをチラリと確認してから、久留米常務に向き直った。

「大変申し訳ございません。少し外してもよろしいでしょうか」
「ああ、どうぞどうぞ」

常務が答えると、深く頭を下げて九条が腰を上げた。

(南アフリカのKK社からだ。少し出てくる)
(わかりました)

九条が麻子に声をひそめ、それでいて耳をすませば聞こえる程度の声で耳打ちした。

案の定、その会話を久留米たちはじっと聴いている。

それはおそらく九条の作戦。うちとKK社の動向を気にさせるためだ。気にさせることでブライトン社に契約を急がせる。そうやって、多方面からブライトン社に決断させる。

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