冷徹上司の氷の瞳が溶ける夜


「……中野さんだったかな。有能な上司を持って、君も勉強になるだろう」
「はい。日々、吸収させてもらおうと私も必死です」

九条が席を外した後、久留米がにこやかに麻子に視線を向けた。その時、久留米のお猪口が空なのに気づく。

「申し訳ございません、気づきませんで」
「ああ、ありがとう」

徳利を手にして注ごうとすると、久留米が自分のお猪口を手にして言い放った。

「どうせなら、隣で注いでもらいたいなぁ。どんな酒も綺麗な女性に注いでもらうものには敵わない」

隣に座る部長の吉野もにこやかにしている。おそらく、これが当たり前の光景なのだ。

「では、お隣、失礼します」

迷わず、久留米の隣に移動する。恰幅のいい身体は座布団からかなりはみ出て胡座をかいていた。

「どうぞ」
「おお、嬉しいね。近くで見ても本当に綺麗なお嬢さんだ」
「とんでもございません」

少し距離を空けて座ったのにも関わらず、久留米が距離を詰めてきた。吐息が顔にかかる。咄嗟に避けようとした身体を、かろうじて止めた。

あからさまに嫌がるような態度は取れない。

「君はいくつ?」
「27です」
「じゃあ、もう新人ではないなぁ。大人の女性だと言ってもいい」

そのねっとりとした視線と油ぎった大きな顔に嫌悪を感じてしまう。

「はい。もう若手とは言えない年代に入りましたので、しっかり仕事をしなければと思っております」
「それなら、今回の我が社との契約はもってこいだ。そちらも絶対に落とせない案件なんだろう? 君もしっかり仕事しないと。君の役割はかなり重要だよ?」

にじり寄ってきた顔が間近に迫る。そして、その手が伸びてきた。

「席を外してしまい、申し訳ございませんでした――」

そこに九条が戻って、麻子と久留米の姿を見て言葉を一瞬言葉を失う。

「ああ、九条さん。今ね、彼女が酒を注いでくれるって言うもんだから、お言葉に甘えていたところだ」
「……そうですか」

それでもすぐに表情を元に戻し、九条が自分の席に着いた。

「中野さんも丸菱に勤めてるんだから優秀なんだろう? 大学は?」
「は、はい、H大学です」
「さすがだなぁ。国立の有名大学じゃないか。それなのに、こんなに美人さんで。女の子は可愛いのが一番だ」
「い、いえ」

なんと答えればいいのかわからない。とにかく何を言われても笑顔を崩さない。嫌がるそぶりは絶対にしてはならない。

「おぉ、顔だけじゃないな? スタイルもいい。この腰なんて細くて締まってる!」
「……あっ」

腰に手を回されて思わず声を上げてしまいそうになるのを寸でのところで止める。

ちらりと九条を見ると、九条も何かを言おうとしてその口をつぐんだ。視線で「大丈夫だ」と訴えるが、伝わっているかどうかはわからない。

< 63 / 252 >

この作品をシェア

pagetop