冷徹上司の氷の瞳が溶ける夜
「――明日は土曜だが、予定は?」
ゆっくりと麻子の身体を離すと、九条がそう聞いてきた。こうして身体が離れてしまえば、現実に思考が戻る。
「何もありませんが……」
「なら、君を私のマンションに連れて帰る。それでいいか?」
「は、はい」
自分の置かれた状況がどういうものなのか、まったく理解できていないままに頷いていた。
九条の家に行くというのは何を意味しているのか。乗せられたタクシーの中で、ひたすらに考える。
課長は、どういうつもりでいるんだろう――。
後部座席で隣に座っている九条をチラリと盗み見る。長い脚を組み、顔は車窓に向けられていた。車内は無言のままで、十数分前に抱きしめられたのが嘘のようだ。一体、どう理解すればいいのか。
何も知らない子供ではない。こんな時間に男性の家に行けば、どんな可能性があるのか。それが分からないわけじゃないけど……。
九条に抱かれることを想像して、思わず頭を振る。そんなことが現実として起こるとは少しも思えない。
でも、もし、求められたとしたら――。
きっと受け入れるだろう。以前、九条のマンションに行った時とは違う。その覚悟がなければ付いて行ったりしない。
「――シャワーを浴びるといい。あの男に触られたままでは気分が悪いだろう」
「あ、はい……」
「今着ている服は、洗濯乾燥機を使え。明日までには乾く」
部屋に着くなり、九条にそう言われた。
「着替えはこれを」
麻子が立ち尽くしている間にもバスローブを持って来て、それを言われるがまま受け取るとバスルームに案内された。
そこで新しい歯ブラシを渡され、九条は出て行った。
部屋に来てから所要時間わずか5分。今、脱衣所にいる。仕事さながらの指示の速さに、ほとんど言葉を挟む暇もなかった。
課長の家で、お風呂に入る――そんな想像、今日の今日まで想像したことすらない。