冷徹上司の氷の瞳が溶ける夜
「――今日、飲み会あるんだけど、中野さんもおいでよ」
新卒で配属された課の先輩社員からの誘いだった。
「駐在から帰国した社員がいるんだけど、その慰労会」
「私、知り合いではないと思うんですけど、行ってもいいんですか?」
今、海外駐在から帰国したというなら、自分とは面識がないはずだ。見ず知らずの人の慰労会に行ってもいいものなのだろうか。
「いいのいいの。基本的に、なんでもいいから理由つけて飲み会したいだけだから」
令和の時代だというのに、未だ飲み会というものが盛んに行われる社風だというのには薄々気づいていた。
「飲み会の名目に、九条の帰国が利用されたってわけ」
「九条さん……」
「ああ、僕の同期なんだけど。とんでもなく出来る奴。海外駐在先の中でも一握りのポストで向こう行ってさ。バリバリ実績残してのご帰還。ほんとの知り合いから無関係のミーハー連中も混在してる飲み会だから、誰が来ても大丈夫だよ」
九条という人がなんだか凄い人だというのは分かった。
「飲み会なんて、無意味で面倒だと思うかもしれないけど、いろんな部署の人間が集まるし顔見知りになれる。今後、仕事を進めていく上で人脈広げてくことは損にはならないよ」
その言葉に、一つ返事で参加することにした。
そうして向かった小洒落たダイニングバーには、総勢40人ほどが集まっていた。その人数にまず圧倒された。立食形式の飲み会で、たくさんの社員が所狭しとグラス片手に話し込んでいた。
この日の主役である九条らしき人が見えた。 一際目立つオーラを放っていたが、主役にも関わらず周囲の人間に愛想笑いすらせず、冷めた雰囲気で酒を飲んでいた。
たまたま見つけた違う課の同期社員と一緒に、緊張しながら会場の片隅に立つ。
新入社員の麻子にとって、商社マンは皆華々しく見えた。高級そうなスーツに垢抜けた容姿。間違いなく、アッパークラスの人たちだ。
人脈を作れと言われても、何をどうしたらいいのか分からないね――そう言おうと思ったら、仲間だと思っていた同期は既に姿が消えていた。必死に会場内を見回すと、彼は誰かに必死に声をかけていた。
ああいうガッツがないとダメってことだよな――。
同期で一緒に頑張ろうなんて、甘いことは言ってられない。人より上を目指して動いていく。そういう場所なんだと思い知った。
見ず知らずの人に話しかけるのは苦手じゃないし、大学の4年間居酒屋で大声を張り上げながら働き続けた根性もある。自分も頑張ろう……そう思った矢先、ジャケットのポケットに入れていたスマホが振動した。ディスプレイを確認すると、思わず吐きそうになるのを飲み込んだ。
人混みを掻き分け店の外に出て、電話に出た。
「――伯父さん、どうしたんですか?」
この声は嫌でも固くなる。
(麻子は今月から社会人だよな。どこに勤めてるんだ?)
一瞬、躊躇うも、正直に話した。いつまでも隠せるものでもない。
「丸菱商事ですけど」
(そりゃあ凄いところに就職できたな。将来、安泰だ。給料も高いだろ)
急に伯父の治郎の声が高くなった。