冷徹上司の氷の瞳が溶ける夜
その夜22時になると、ベッドの上で正座した。
まずメールを送る。初めて個人的に九条に連絡するのだ。まずは間接的ツールから。
【中野麻子です。今日はありがとうございました。今、電話しても大丈夫でしょうか】
そんな味気ない文面を送るのにどれだけ緊張しているのか。送信したそばから、更に大きな緊張が襲い掛かってくる。
手のひらの中のスマホがすぐに振動した。慌てて落としそうになる。ディスプレイにはメッセージが表示されていた。
【九条です。先ほど帰宅した。いつでも電話してくれて構わない】
本当に、課長からのメッセージだ……。
ディスプレイに浮かぶ無機質な文字に思わず指で触れる。
昼のうちに登録しておいた九条の番号に電話をかける。呼び出し音を待つ時間、早い心臓の音が耳を塞ぐ。
(――もしもし)
初めて聞く電話越しの九条の声。間近で聞く低音ボイスに、心臓が飛び跳ねそうになる。
「も、もしもし、中野です」
緊張する。もう、緊張しかしない
「お疲れ様でした」
(……電話越しの中野さんの声、異常に硬いけど何かあったのか?)
「違います。ただ、初めて課長と電話で話しているので緊張しているだけです」
心配をかけてどうするのだ。慌ててそう説明した。
(緊張……なるほど。確かに、君は私のことを鬼課長と言っていたしな。鬼相手なら恐怖を感じて緊張もするだろう)
「え? あ……もう、そのことは忘れてください。課長は誰よりも厳しいんですから、仕方ないじゃないですか」
(その鬼を好きだという君もどうかと思うが?)
「う……っ」
そんな冗談を言うタイプだった――?
「課長が、そんな風に人を揶揄うタイプだとは知りませんでした」
(私もそんな自分知らなかったよ。君といるからじゃないかな)
私だから……。
(ん……? どうかしたのか?)
「い、いえ。なんでもありません」
不意打ちでそんなことを言う。そういうところがこの人のずるいところだと思う。
(水曜あたりなら早く仕事を片付けられそうだが、君は?)
「私も、水曜日なら急ぎの仕事はないと思います」
(なら、食事でもするか?)
これは、デートの誘いだと思っていいだろうか?
「は、はい! ぜひ! 水曜日は何が何でも超高速で仕事を片付けます!」
(急に元気になったな)
そう言って九条が笑った。
恋は自分の感情を激しく揺さぶるものだと知る。恋人の言葉や態度一つで天にも昇り、地にも落ちる。
既に心は、水曜日へのカウントダウンが始まっていた。