冷徹上司の氷の瞳が溶ける夜
結局大してメイク直しもせずに、出て来てしまった。
【店は予約した。この店に直接19時半に来てくれ】
九条から教えられた店は、麻子の家からの方が近い場所だった。そうしたのは、会社から離れているから。他の人に見られる心配のない場所だ。ただでさえ、飲み会やら会食が多い職場だ。誰かに見られるリスクが高い。
いつもの帰宅ルートと同じ地下鉄に乗り、指示された店に着いた。
こんなお店あったんだ……。
駅から徒歩で行けるのに、住宅街の中にある瀟洒な一軒家レストランだった。
先に店に入っていいと言われていたから、エントランスを少し緊張しながらくぐる。
「九条様でございますね。こちらへどうぞ」
品の良い中年男性が案内した席は、テラスに面した席だった。テラスには観賞用のプールと控えめなライトアップ。大人な雰囲気にあふれた素敵な席だった。
こういう店にあんまり来たことがない。
同僚たちはおしゃれな店を開拓しては通っていたみたいだけれど、節約ばかりを考えていた麻子はその誘いを断っていた。美琴もそんな麻子を察して高い店には誘わない。
祐介も市役所職員だったこともあり、二人で行く店と言えば、家の近くの庶民的な店が多かった。
課長は、こういう店よく来ていたのかな……。
だとしたら男性同士では来ないだろう。ということは女性だ。
課長はこれまでどんな女性と付き合ってきたのだろう――って、これから楽しみにしていた時間が来るというのに、どうしてそんなことを考えるのだ。
もっと、楽しいことを考えよう――。
「悪い、待たせたな」
ちょうど九条が現れた。ライトグレーのスーツに紺色のネクタイ。そこはかとなく気品に満ちた姿の九条が、麻子の正面の席に着いた。