冷徹上司の氷の瞳が溶ける夜

はぁ……。

部屋で一人になると、盛大にため息を吐いた。
一人相撲も甚だしい。ただただ恥ずかしい。

私って、こんなに欲に塗れた人間だったっけ――?

まだ付き合い始めたばかり。何をそんなに焦っているのか。

この前は一緒に寝たのに(本当に寝ただけだけれど)。課長は私に触れたいとは思わない?

結局結論は同じところに辿り着く。

“私のことを好きなわけではない“

『恋人に手を出さずにいられるほど紳士じゃない』なんて言っていたけれど、それはあくまで建前だ。

もし、このまま手を出されなかったら――想像したら怖くなって膝に突っ伏した。

 不安だから焦るのだ。不安だから、より分かりやすい何かが欲しくなる。

 変化のないスマホを見つめながら、頭がアルコールでくらくらする。

 そばにいられるだけで凄いことだと思った。なのに、こんなに簡単に、こんなにすぐに欲張りになる。そんな自分の浅ましさが嫌で嫌でたまらない。



「――課長、今日の夜の便で海外らしいよ」

翌日、メールでの問い合わせの処理に手を取られていると、正面に座る田所がそう口にした。

「パリだってよ。一体、どれだけ仕事並行してんだよ。アジアだけじゃなくヨーロッパもかよ。ほんと、うちの課長は凄いですねぇ」

椅子の背もたれに目一杯もたれ、横柄な態度で座っている。

「急なトラブルで現地から呼ばれたらしいですよ。英語はもちろん、アジア系の言語もフランス語も、それなりにできるっていうんですから、頭の中どうなってるんですかね」

隣の席の丸山が言った。九条が席を外しているのをいいことに、雑談タイムになっていく。通りかかった女子社員も参加して来た。

「だって、九条さんてT大の首席卒業でしょ? それなのに、ガリ勉ってわけじゃなくて、大学時代はバイト三昧だったって話聞いたことあるよ?」
「バイト? あの人が? 一体どんなバイトすんだよ」

知らなかった。考えてみれば、九条のプライベートを何も知らない。

「それは知らない。人づてに聞いただけだし。そもそも課長って、あんまりプライベート話さないし。オフにどう過ごしてるとか、全然想像できないよね」
「どうせ、仕事のことしか考えてねーだろ」

田所がそう吐き捨てた。

九条は何よりも仕事のことを優先している。自分が知っていることもその程度のこと。

私が知っている課長は、同僚が知っているものと同じなんだな……。

「……中野さん?」

丸山がじっと麻子を見ていた。

「何か考え事ですか」
「う、ううん」
「ふーん」

なんだろう。
丸山の目が何を意味しているのかわからなくて居心地が悪い。

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