冷徹上司の氷の瞳が溶ける夜
「付き合っている人がいるなんて嘘だよな?」
家にまで来るなんて常軌を逸している。
「もし本当だとしても、いくらなんでも早過ぎる。俺に対する腹いせなんだろ? 本当にそいつのことが好きなわけじゃないんだよな。相手だって、麻子のことが本当に好きなわけじゃない。そんな恋愛、俺が今すぐやめさせてやるから――」
「いい加減にして」
耳を両手で塞いだ時だった。
「こんな時間に近所迷惑です。やめていただきたい」
課長――?
思いもしないことに困惑する。
九条に聞かれた。この状況を見られてしまった。そのことで頭がいっぱいになって、得体の知れない恐怖でいっぱいになる。
「あんたこそ、誰だよ」
「私だ。大丈夫だから、ここを開けてくれるか?」
祐介に構わず呼びかけてきた九条の声は、麻子が知っている何倍も優しい声だった。
「誰だって聞いてるんだ。答えろよ!」
麻子は座り込んでいた身体を起き上がらせ、飛びつくようにドアを開ける。そうして真っ先に現れたのは九条の姿だった。
「課長、私――」
何をどう弁解すべきかもわからない中、咄嗟に上げた声はすぐに九条の声にかき消される。
「君はこの人と話したいか? それとも、このまま帰ってもらった方がいい?」
「私には、話なんてありませんから。帰ってもらいたいです!」
そう答えると九条が麻子の部屋に素早く入り、麻子を背に庇うようにしながら祐介の方へと身体を向けた。
「彼女がそう言っている。どうぞお引き取りください。それから――」
九条の声が一際低くなる。
「彼女が迷惑だと思った時点で、あなたのしていることは全て罪になる。今度来たら、警察を呼ぶぞ」
祐介が何かを答える前に、九条が扉を閉めた。
「か、課長、本当にすみません。あの人が勝手にここに来て、あ、でも、そんなこと、課長は聞いてないですよね」
何かを言わなければと口を開いた麻子の腕を掴むと、九条は一瞬にしてに麻子の身体を玄関ドアに押し付けた。
「麻子!」
その時、麻子を呼ぶ叫び声がした。祐介がまだそこにいる。それに怯えたまま九条の顔を見上げた。