冷徹上司の氷の瞳が溶ける夜
まさか九条が来るとは思わないから、今着ているのは完全なる部屋着だ。それも、可愛らしくもなければ色気のあるものでもない。着古しているTシャツに高校時代のジャージのズボン。
顔はもちろんすっぴんだし、前髪は邪魔にならないように一つに結んでちょんまげみたいになっている。人に見られることをまったく考慮に入れていない格好だ。
そんな格好で課長の前に立っている!
「ちょ、ちょっと、目を瞑っていただけますか?」
「どうして」
閉じ込められていた腕から離れようと九条の胸を押し、そんな、今更で悪あがきなお願いをする。
「とにかく、ほんの少しの間でいいので、ちょっと待っててください」
「だから、どうしてだと聞いている」
せめて、もう少しまともな格好にさせて――。
逃げ出そうとした麻子の腕を掴んで引き寄せて。玄関先に腰を下ろした九条の胸に倒れ込んでしまう。
「待っててって言ってるのに、どうして」
「だったら、どこに行こうとしたのか言ったらどうだ?」
その手の力は強くて、九条の脚の間にすっぽり収まったまま動けない。
「白状します。私の格好酷いでしょう? 課長に見られたくないから、少しだけでも直したいと思ったんです。ただでさえ、私はもっと頑張らないといけない身なのに」
この日も全く隙のないスーツ姿の九条と、美琴からインド土産でもらった黄色いTシャツに緑のジャージを着た私。泣きたくなるくらい釣り合わない。
「……ああ。確かに頑張るには程遠い格好だ。でも、」
九条がぐいっと麻子の肩をきつく抱きしめて、頬に長い指を滑らせた。鼻と鼻が触れるか触れないかの距離で囁く。
「面白いよ。すごく」
「お、面白いって……そんなの、求めてません。私は、女として見られたい――」
冗談めいた言葉なのに、レンズ越しの眼差しは全然そうではなくて。大人の男の色気が放たれている。その目に捉えられたら動けない。
「見てるよ。どんな格好をしていようと、私にとって君は女だ」
そう言い終えると、間近に迫っていた唇が麻子の唇を塞いだ。
「そんな格好をしていたって、こうしてキスしたくなる」
「……んっ、あ……っ」
離れたはずの唇は麻子の首筋に移る。頬を覆うように当てられた手のひらに力が込められると、九条の唇は首筋、頬、耳へと移動し、そしてまた唇に戻る。
九条にここまでされるのは初めてで。恐ろしいくらいに心臓が動いている。呼吸をするのも忘れてしまう。