冷徹上司の氷の瞳が溶ける夜
どれくらい時間が経ったのか。夕暮れだった空が、少しずつ紫色に変わりつある。座り込んだまま動けないでいると、ドアをノックする音がした。
「私だ。九条だ。開けてくれ」
こんなに早いとは思わなかった。メールは間に合わなかったのか――。
家にいることは九条に知られている。居留守を使うわけにもいかずドアを開けた。仕事先から直接来たのか、スーツ姿の九条が立っていた。
「中野さん――」
「先ほど、もう一度メールを送ったのですが、読んでいませんか?」
「ここに向かっていたから、読んでいない」
顔が見える程度にしかドアを開けなかったのに、九条に強引に開けられた。
「入るぞ」
「あ、あの……っ!」
有無を言わさず、部屋に上がってしまった。
「君の従姉妹は?」
「今、お風呂に」
「風呂?」
散らかった部屋と九条の姿が悲しいくらいにチグハグで。どうしようもない感情に飲み込まれそうになる。
結愛は、一体どれだけゆっくり風呂に入っているのか。その神経に、呆れを通り越して絶望を感じる。
「やっぱりこれは私の家族の問題なので巻き込むわけにはいきません。私が解決しなくちゃいけないことです。ですから――」
九条にそう訴えていると、スマホが鳴り出した。伯父の治郎からの着信だった。
「すみません」
九条に背を向け、その電話に出る。
(結愛から聞いた。金も持っていない結愛を追い出したらしいな。かわいそうに、この二ヶ月自分でなんとかしようと地獄みたいな生活を送ったんだと言っている。それでもどうにもならなくなって、路頭に迷っていたんだ。犯罪に巻き込まれたらどうする!)
いきなり怒鳴り声で捲し立てられた。
「ちょ、ちょっと待ってください! 私は、結愛ちゃんを追い出してなんかいません!」
(結愛が嘘をついたというのか? 本当におまえは冷たい奴だ。大事な従姉妹だろ? 姉妹みたいに一緒に育った妹も同然だ。ちゃんと面倒を見るのが義務だ。わかったな!)
大声で一方的に喚き散らし、こちらの言葉を一切挟ませない。
(今度、結愛に酷い仕打ちをしたら、一生許さんぞ! この恩知らずが!)
「待ってくださ――」
電話は切れていた。
「中野さん。申し訳ないが、今の会話、ほとんど聞こえた」
九条の言葉に、胸がぎゅっと苦しくなる。
「すみません。この前からお恥ずかしいところばかり見せてますよね。聞こえていたならお分かりだと思いますが、お世話になった伯父の子なので。やっぱり、私が面倒を見るのが筋なんだと思います……」
もう、惨めで九条の方に振り返ることができない。
「……え? 誰?」
その時、浴室から出てきたのか、結愛の声が聞こえてきた。その声に、九条が結愛の方に振り返る。
「まさか、麻子ちゃんの新しいカレシさんですかぁ?」
結愛のいつも高い声が、さらに高く甘ったるい。そして、その目の色が変わる。頭に巻いていたタオルを素早くほどき、結愛が濡れた長い髪を掻き上げた。
露出度の高い服を隠そうともせずに、こちらに近づいて来る。どこから見ても、可愛さと色気を併せ持つ若くて綺麗な女の子だ。