Melts in your mouth



左手首に巻かれた時計に視線を落とした山田が胸ポケットから社員証とネクタイを取り出した。

まだ昼休みの時間だが仕事に戻らなければならないのだろう。出版社あるあるだ。勤務時間が変則的になってしまうのも、いつの間にか慣れてしまった。

山田は広報担当部署だから、夏休みに向けての様々な企画の宣伝準備に追われている時期だろう。

因みにsucréも、夏の特大号発売で広報部にはお世話になる予定だ。



「悪ぃ菅田、俺から話し掛けておいてなんだけど…「仕事、忙しいんでしょ?大丈夫分かってる。私の事は気にしないで良いよ。」」



立ちあがった相手に合わせて手をヒラヒラと泳がせれば、心なしか山田が一瞬だけ酷く寂しそうな顔を浮かべた。



「あーあ、菅田と同じ配属が良かったわ。」

「私も山田と同じ配属だったら心置きなく有給消化できてたわ。」

「休む前提かよ。」

「ゲームする為に働いてるみたいなところあるからね。」

「ハハッ、まぁ菅田の有給消化の為なら喜んで働くけどな。」

「こんなに優しいといつか詐欺に遭うぞ?……あ、山田。」

「ん?」

「一個どう?」


踵を返そうとした相手の筋肉質な二の腕を突いてから、一切れのザッハトルテを軽く持ち上げて見せる。

そんな私に対し、山田は頬を緩めてクスクスと声を漏らした。


「折角の大好物なんだから譲らなくて良いよ、気持ちだけ受け取っとく。」


それに昔、ザッハトルテ一切れごときじゃまるで足りないって言ってたし?と言葉を続けられ、そんな仕様もない私のジャイアン記録に脳内メモリ使うなよと素直に思った。


因みに、山田のその記憶は事実である。




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