Lost at sea〜不器用御曹司の密かな蜜愛〜
9 日常〜五日目〜
 父親に駅まで送ってもらい、それから特急電車に乗り、家に着いたのは夕方だった。

 ガラガラと音が鳴る昔ながらの引き戸を開け、何日か振りに戻ってきた築五十年の貸家の古い香りは、六花の心をホッと落ち着かせた。

 備え付けられた木製の下駄箱の上に鍵を載せ、広い上り(かまち)にカバンやキャリーバッグを無造作に置いた。

 居間の明かりをつけてから抱っこ紐を外し、ウレタン製のプレイマットに愛生を寝かせる。そこでようやく肩の力が抜けた。

 レトルト食品で簡単に自分の食事を済ませてから、娘とお風呂に入り寝かしつける。久しぶりの娘との時間は忙しなく過ぎていったが、当たり前の日常を思い出してホッとした。

 いろいろなことがあったからか、六花の疲れもピークに達していた。そのまま娘の隣で寝落ちしてしまい、目を覚ますと朝になっていた。

 昨日までが嘘のよう。目の前にはすやすやと眠る娘の寝顔があり、変わらない生活の始まりに安堵する。

 六花は娘を起こさないよう気をつけてベッドから降りると、顔を洗い、Tシャツとスウェットのパンツというラフな姿でキッチンに行く。冷蔵庫の中はほぼ空っぽだったので、朝は冷凍食品で済ませることにした。

 まーちゃんの離乳食はたくさん買い込んであるから心配ないけど……とりあえず後で買い物に行かなくちゃね。

 床に直置きになっているソファにどさっと腰を下ろし、膝を抱えてうずくまる。昨日は勢いのまま飛び出してしまったことを、今更ながら後悔していた。

 逃げないと言ったのに、逃げ出してしまったーー。約束を破った私のことを、宗吾はどう思っただろう。考えるだけで苦しくなる。

 ただあの時は気が動転していて、その場にいることが出来なかった。まさか朝夏さん本人が現れるなんて思いもしなかったんだもの……。

 せっかく彼に自分の気持ちと娘のことを伝えるチャンスだったのに……。でもきっとこれで良かったのかもしれない。宗吾と朝夏さんが一緒にいるところなんて見たくないし、そのたびに悲しくなるに違いないからーー私と宗吾の運命は交わることなく進んでいく。そう、それでいい。

 私にはまーちゃんがいるんだから大丈夫。寂しくなんかない。母親になったことで気持ちは強くなったはずなのに、宗吾の顔を思い浮かべると途端に弱気になる自分がいた。
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