出会ったのは間違いでした 〜御曹司と始める偽りのエンゲージメント〜
 深雪が社長室に連れて来た澤野は、龍ほど背は高くないが、それでもスラリとしていて細身のスーツがよく似合っていた。そしてウェーブのかかった、前髪が長めのマッシュヘアから覗くその顔は涼しげな雰囲気を醸し出していた。

「来るなら来るって連絡くれる?」

 深雪が呆れたように澤野に言うと、悪びれる様子もなく「忘れてた」と答えている。それから澤野は、立っていた実乃莉と千佐都を見て小さく会釈した。

「お久しぶりです」

 先に言ったのは千佐都だ。
 SSはシステム開発企業の中では、ここ数年で急激に業績を伸ばしていることで有名なこともあり、元同業者の千佐都も顔見知りなようだ。

「久しぶり。最近アキラさんのところ行けてなくて。ごめんって謝っといて」
「もうすぐ赤ちゃん産まれるのに、飲み歩いてるほうがどうにかしてません? たぶん、顔見せた途端追い出されますよ」

 仕事だけの付き合いとは思えない、親密そうな会話に実乃莉は少なからず驚く。その二人の会話に深雪は割って入った。

「とりあえず座って。アイスコーヒーでいいよね。あ、実乃莉ちゃんにもちゃんと挨拶してよ?」

 冷蔵庫に向かいながら背中越しに言う深雪は、とても客に対する態度には見えなかった。

「あっ……と。澤野です」

 決まりの悪そうな様子で澤野はボソリと言う。初対面の相手にはこんな素っ気ない人なのかも知れない。会社にも同じようなタイプの社員はいるから、特に珍しいわけではない。

「いつもお世話になっております。鷹柳です」

 実乃莉が丁寧にそう言って礼をすると、冷蔵庫の前から深雪の声が飛んできた。

「お兄ちゃん‼︎ そんなところでコミュ障発症させないで!」

 そこでようやく思い出す。何度か目にしていたはずのその名前を。

「え……。ということは、SSの……?」
「はい。一応社長やってる澤野奨生(しょう)です。深雪と龍がいつもお世話になってます」
「こちらこそ! 深雪さんにも龍さんにも、いつも助けていただいてます」

 淡々とした奨生に対して、実乃莉は慌てふためくように言葉を返した。

「大丈夫? 深雪、怖くない?」

 コソッと小さな声で尋ねられ、実乃莉は「そんなことないです!」と両手を振る。

「ちょっとお兄ちゃん? 変なこと言ってないでしょうね?」

 テーブルにペットボトルのコーヒーをドンっと置くと深雪は顔を顰める。

「ほら、怖いでしょ?」

 素っ気なく見えるが、優しい兄の顔をして笑う奨生に、実乃莉の心は和んでいた。
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