出会ったのは間違いでした 〜御曹司と始める偽りのエンゲージメント〜
「悪いな。こいつ、悪気はないんだ。許してやってくれ。糸井、お前はがっつきすぎ」

 龍に嗜められ、糸井はしょんぼりしながら「はぁい……」と子どものように返事をする。

「とにかく糸井。休憩終わったらもうひと頑張りな。七時……いや、八時超えても終わりそうになかったら連絡くれ。戻ってくる。じゃ、それ頼むぞ」

 またゾンビのように項垂れている糸井に言うと、龍は背を向ける。

「行くぞ、実乃莉」

 実乃莉を促すと龍は先に廊下を奥に進んで行った。

「あっ、待ってください」

 龍の背中を一瞬目で追ったあと、実乃莉は糸井に向いた。

「では失礼します。お仕事、頑張ってください」

 実乃莉が一礼し顔を上げると、糸井はまた復活したように直立不動になった。

「はいっ! 頑張ります」

 声を張る糸井の圧力に実乃莉はまた顔を引き攣らせながら、龍のあとを追いかけた。

 龍は広い部屋の隣に続く扉を開けるとその場で待っていた。実乃莉が追いつくと「どうぞ?」と入るように促した。
 部屋に中は思っていた以上に広い。部屋の半分は龍の身長ほどのパーテーションで区切られていて、向こうの様子は見えなかった。
 正面の窓際にはダークブラウンの木製の机が一つ。その上には電話があるだけでパソコンすらない。その手前には、父の事務所にもあるようなレザー調の黒い応接ソファがあった。

「そこに掛けてくれ」

 扉を閉めた龍は実乃莉の横を過ぎながら声を掛ける。はい、と返事をして実乃莉は扉側のソファに腰掛けた。
 龍は持っていたシュークリームをテーブルに置くと上着を脱ぐ。皺を気にする様子もなく背もたれにそれをばさりとかけると、パーテーションの向こう消えて行った。
 すぐにペットボトルを二本抱えて帰ってくると、龍はソファに身を沈めた。
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