出会ったのは間違いでした 〜御曹司と始める偽りのエンゲージメント〜
 そんな実乃莉を腕に抱えたまま、龍はその背中に広がる長い髪を指で掬った。その長い髪を龍はじっと見ていた。

「この髪。今日染めたのか?」
「えっ? あの。そ、そうです」

 体重を掛けてもたれかかっても、ビクともしない逞しい腕に抱えられている。それを実感しただけで実乃莉の体温は上がっていく。
 レストランで肩を抱かれたときは必死で、他のことを考える余裕もなかった。
 けれど、龍に対して緊張も解れてきたこのタイミング。こんな至近距離で色気のある低い声を聞かされ、実乃莉の足は余計に力が抜けそうになっていた。

「この髪も、服装も、こんな高いヒール履くのも初めてって感じだな。違う?」

 龍は明るく笑いながら実乃莉を起こす。責められているわけではないが、全て見透かされているようで、なんとなく肩身が狭い。

「そう、です。お見合い相手に少しでも幻滅してもらおうと思ったので」
「あぁ。それで。高木ってやつには効いてたみたいだが、俺は別にいいと思うけど?」

 龍はそんな台詞をさらりと吐き出す。恋愛どころか異性に対する耐性もない実乃莉の体温はそれだけで上がりっぱなしだ。
 恥ずかしさで俯く実乃莉に、龍は腕を差し出した。

「足、痛いだろ? 腕掴んでていいぞ。少しはマシになればいいが。とりあえず、深雪への手土産だな。あいつ、体重制限が〜とか言って食うもんにうるさいんだよな」

 実乃莉が戸惑いまごついているのを、龍は気に留める様子もない。

(そっか……。はなから何とも思われてないんだ……)

 龍にとって実乃莉は恋愛の対象ではないのだろう。だからこんなに飄々とした態度が取れるのだ。
 そして実乃莉は、それに少なからずショックを受けている自分に驚いていた。

「どうした?」

 反応の返らない実乃莉の顔を、龍は訝しむように覗き込む。

「なっ、なんでもありません」
「じゃあ、行こう。どこかいい店知ってたら教えてくれ」

 促すように差し出された腕に、実乃莉はそっと掴まった。
< 29 / 128 >

この作品をシェア

pagetop