絶対に結婚したくない令嬢、辺境のケダモノと呼ばれる将軍閣下の押しかけ妻になる
 最初から貴族の女を妻にする気などなかった。花嫁に逃げられたとしたら、また世間の笑いものになるだろうが、最初に戻っただけだと思えばそれほどの変化はない。
 だが脳裏に、花嫁衣装に身を包んだフランチェスカの姿を思い出して、彼女が逃げたりするだろうか、とも思う。
 式が始まる前、マティアスの言葉をなにひとつ聞き逃さないといわんばかりに、彼女はまっすぐにマティアスを見つめてきた。

『とてもきれいな目をしていらっしゃるんですね』

 至近距離でそう言われたときは、驚いてひっくり返りそうになったが、彼女はニコニコと微笑んでいた。
 お披露目で馬車に乗った時も『マティアス様は領民に愛されていらっしゃるんですね』となんのてらいもなく口にしていたし『私も頑張らねば』と謎の闘志を燃やしていた。
 こう言っては何だが、フランチェスカはまったく貴族令嬢らしからぬ肝の太さであるような気がする。

 マティアスは部屋の中をゆっくりと見回す。
 この日のため用意した夫婦のための天蓋付きのベッドの横に置かれたランプに火が灯っているが、部屋の中は薄暗い。花瓶にはたっぷりの深紅の薔薇がいけられていて、濃厚な香りを漂わせている。
 緊張しながら妻が待つベッドのもとに歩み寄り、ビロードのカーテンを手の甲で端に寄せて、驚いた。

「っ……!」

 思わずうめき声をあげて、その場に崩れるようにしゃがみこむ。わーっと叫びたい気持ちを必死に抑えて口元を手のひらで覆った。
 なんということだろう。シーツの上に天使が横たわっている。

(待て待て。落ち着け、マティアス。これは夢じゃない、現実だ)

 なんとか己を励ましつつ立ち上がったマティアスは、フランチェスカを見おろした。

 薄い夜着をまとったフランチェスカは、黄金の稲穂のような髪をシーツの上に広げてまるで子供のようにすやすやと眠っていた。伏せたまつ毛も金色で、毛先がくるんとカールしている。鼻筋は細く高く、唇は薔薇色で、呼吸とともに柔らかな胸のあたりが、穏やかに上下していた。信じられないくらい圧倒的な美だった。
 もちろん花嫁姿も愛らしかったが、着飾らずして、ただ寝ているだけでこんなに美しい人をマティアスは見たことがなかった。
 額に入れて教会に飾られていないとおかしいレベルだとしか思えない。
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