結婚しないために婚約したのに、契約相手に懐かれた件について。〜契約満了後は速やかに婚約破棄願います〜
「……こことの取引はやめとけ。有事に漬け込んで吹っかけてくる商会なんて、だいたい粗悪品掴まされて終わりだ」

 突然そう言われてルキは見積もり書から視線を上げる。

「なんで、あなたが……」

 ルキは驚いたように目を見開き、声をかけた人物を見る。
 ルキが手に持っている見積もり書を覗き込むハルによく似た容姿の、ハルとは決定的に違う黒曜石のような黒い瞳を持つその人、キース・ストラル伯爵だった。
 ふむ、と辺りを見渡し状況を把握したらしい伯爵は、

「支援してやる。ただし条件が2つ」

 と淡々とした口調でそう告げる。

「1つめ。物資も人もうち(ストラル社)が出す代わりに俺のやり方やうちの人間に口を出さないこと」

 伯爵はいつも通りの仏頂面で、困惑を示す濃紺の瞳を見る。
 この事態に今まで一人で対応してきたんだろうと推察できるほど、ルキの顔には濃い疲労が浮かんでいる。
 伯爵は盛大にため息を吐くと、

「2つ目。お前が倒れたら話にならない。ここから先はちゃんと食べて寝て人に頼れ。それでだいたいなんとかなる」

 そう言ってルキに非常食を押し付けた。

「味は保証する。何せ非常時こそ美味しいごはんじゃないとダメっ! って、俺の妻と妹がリテイク出しまくって作ったからな」

 一つ開発するのに何ヶ月非常食食べたかとその時のことを思い出したようにクスッと笑った伯爵を見ながら、

『兄がね、よく言うんです。寝て食べたら大抵の悩みは解決するって』

 ベルがそんな事を言っていたなとルキは思い出し、非常食に視線を落とす。
 ベルは先代のストラル伯爵と血の繋がりがあるか確信が持てないと言っていたけれど、この人は間違いなくベルの兄だと彼女との類似点を見つけてルキは笑った。

「……どうして、うちを助けてくれるんですか?」

 ルキは真面目な顔をして非常食を握りしめ、伯爵にそう尋ねた。
 ブルーノ公爵家はベルの名誉を著しく傷つけたと言うのに、ベル自身が過保護だと言っていたその兄が支援してくれる理由が分からない。

「別に公爵家を助けようなんて微塵も思ってない。これは、ストラル伯爵家から、シルヴィアお嬢様個人の将来性に期待して行う先行投資だ」

 そんなルキに肩を竦めてそう言った伯爵が入口のドアに視線をやると、タイミングよくシルヴィアが入ってきた。

「お兄様! もう大丈夫ですわ」

 開口一番にそう言ったシルヴィアはいつも着ているドレスより随分簡素で動きやすそうなエプロンドレスを身に纏い、両手いっぱいに資料を抱えて微笑んだ。
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