初心な人質妻は愛に不器用なおっさん閣下に溺愛される、ときどき娘
 イグナーツはその日、いつもと同じように遅い時間に戻ってきた。
 休暇が明けてから仕事だといって王城へ足を向ける日は、夕食を一緒にとらない。それは彼の帰宅時間が遅いためである。いつもエルシーが眠ってから帰ってくる。
 毎日帰宅の遅い彼を、オネルヴァは心配していた。
 彼は帰宅すると、執務室で食事をとりながら、書類やら手紙を確認している。だから彼に声をかけるのは気がひける。
 帰宅したタイミングで「おかえりなさい」と言葉をかけて食事を運び、寝るときに「おやすみなさい」と言うだけである。
 十日前のように交わした熱い口づけによる治療行為も、あれ以降行っていない。つまり、イグナーツが職場でうまく魔力の解放を行っているのだろう。求められないのに、オネルヴァから「治療します」と口にするものでもない。
 昼間にエルシーから言われた言葉も重なり、胸の奥にくすぶるような火種が生まれていた。それが何を意味するのか、オネルヴァ自身もわからない。
 トントントントン――。
 挨拶をするため、彼の執務室の扉を叩いた。中から返事があるのをしばらく待つ。
 いつもであれば、心の中で「五」まで数える間に「開いている」と声が聞こえてくる。だが今日はその声が聞こえてこない。
 扉に手をかける。
「旦那様……?」
 おそるおそる扉を開けると、ソファに身体を沈めている。その表情はどこか苦しそうにも見えた。
 こんな彼を、オネルヴァはよく知っている。
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