ティータイムは放課後に。〜失恋カフェであの日の初恋をもう一度〜
第10話
ほどなくして、ことり、と小さく食器とテーブルがぶつかる音がした。
顔を上げると、椎がいる。目の前にミゼラブルが出された。
「お待たせしました」
ふわふわのアーモンドが香る鮮やかな黄色をしたスポンジに、濃厚なバタークリームがたっぷりとサンドされている。
一花はフォークを手に持った。
食べに来た、なんて言ったけれど。本当はこれっぽっちも食べたいと思わない。
出されたスイーツをじっと見つめたまま手をつけないままでいると、椎が言った。
「……ミゼラブルって、どういう意味か知ってる?」
顔を上げる。
「意味……?」
「ミゼラブルは、フランス語で悲惨な、って意味なんだ。ケーキを作るとき、牛乳を水に節約して作ったから、って言われてる」
へぇ、と乾いた笑い声が漏れた。
「私にぴったりだね」
自分を優先して、好きな人の気持ちを犠牲にして利用した。そうした結果、悲惨な末路を辿った、一花自身に。
「……でも、ミゼラブルは伝統あるスイーツだよ。スイーツは、世界で毎日生まれては消えてる。今も世界に残ってるのは、ほんのわずかだけだ。でも……このミゼラブルは、ちゃんと残ってる。それだけ芯がある美味しさで愛されてるってことだ」
椎の大きな手がくしゃり、と一花の頭を撫でた。そのままわしゃわしゃと犬を撫でるように撫で回す。
「……雪くんは、一花をちゃんと愛してたよ。茜くんへの想いとは少し違った。それだけだ」
せっかく泣き止んだのに、椎のせいでまた涙が溢れた。
「せっかく泣き止んだのに、また泣くのか」
「泣かせたのは椎ちゃんでしょ……」
「ははっ。それもそうだな」
椎は呑気に笑っている。
椎はいつだって、一花の涙腺をコントロールするのが上手い。
大人で、男臭くなくて、どこか中性的な顔。よく見れば、椎と雪は少し似ているかもしれない。
「……もう」
頬杖をつきながら、優雅にティーカップを口につける椎と目が合う。
すると、
「きれいになったな、一花」
「……なにそれ。振られたばっかの女に」
「振られてない。一花は振ったんだよ」
「…………もう、どっちでもいいよ」
一花は視線をそっと窓へ向けた。可愛らしい格子窓からは、鮮やかなオレンジ色の西陽が差し込んでいる。空には雲ひとつなく、澄み渡っていた。
「……そうだな。もう終わったことだ」と、椎が言う。
視線を戻すと、椎は微笑んでいた。一花はふいっと目を逸らした。
「……やっぱりミゼラブル、しょっぱいじゃん」
「嘘。じゃあひとくち」
椎が無防備に口を開けて、一花に寄る。
「自分で食べてよ」
ぴしゃりと言うと、
「いいじゃん、おにーたんにも食わせて」
昔、一花は椎をそう呼んでいたのだ。懐かしい呼び方に、一花は思わず赤面する。椎はまったく気にした素振りもなく、一花に顔を近づけた。
「……仕方ないな」
小さくカットして、口に入れてやる。
椎の唇の端にクリームがついた。
「あ、ごめんクリームついた」
指先で拭うと、その手をパッと掴まれた。そのまま、指についたクリームをぺろりと舌で舐め取られる。
「!?」
「……あぁ、悪い。ついくせで」
「くせって……」
椎は仕事柄、スイーツを残すことを嫌う。クリームひとつでも無駄にはしない。
とはいえこれは……。
「……椎ちゃん、それ他の人でやったら……」
照れてしまったことが悔しくて、口を尖らせて椎を見ると、
「……あ、本当だ。しょっぱ」
「え、嘘?」と一花が目を瞠る。
「嘘」
椎はそういうと、一花を見つめて小さく笑った。
「もう! 椎ちゃんなんて嫌い!」
「昔はおにーたんおにーたんって、離してもくっついてきたのにな……」
椎は、一花を眩しいものでも見るように見つめて目を細めた。
「だから、そういう昔の話をするのはやめてっていつも言ってるでしょ」
「はいはい。悪かったよ」
すると、椎はすっと立ち上がった。
「椎ちゃん?」
怒ったのだろうか。不安になって椎を見上げる。しかし椎は怒っているというよりも悲しげな顔をしていた。
「厨房で仕事してるから、ゆっくりしてろ。あ、勝手に帰るなよ。送るから」
「……ん、分かった」
ビオラの砂糖漬けが、口の中でしゃり、と溶けた。
顔を上げると、椎がいる。目の前にミゼラブルが出された。
「お待たせしました」
ふわふわのアーモンドが香る鮮やかな黄色をしたスポンジに、濃厚なバタークリームがたっぷりとサンドされている。
一花はフォークを手に持った。
食べに来た、なんて言ったけれど。本当はこれっぽっちも食べたいと思わない。
出されたスイーツをじっと見つめたまま手をつけないままでいると、椎が言った。
「……ミゼラブルって、どういう意味か知ってる?」
顔を上げる。
「意味……?」
「ミゼラブルは、フランス語で悲惨な、って意味なんだ。ケーキを作るとき、牛乳を水に節約して作ったから、って言われてる」
へぇ、と乾いた笑い声が漏れた。
「私にぴったりだね」
自分を優先して、好きな人の気持ちを犠牲にして利用した。そうした結果、悲惨な末路を辿った、一花自身に。
「……でも、ミゼラブルは伝統あるスイーツだよ。スイーツは、世界で毎日生まれては消えてる。今も世界に残ってるのは、ほんのわずかだけだ。でも……このミゼラブルは、ちゃんと残ってる。それだけ芯がある美味しさで愛されてるってことだ」
椎の大きな手がくしゃり、と一花の頭を撫でた。そのままわしゃわしゃと犬を撫でるように撫で回す。
「……雪くんは、一花をちゃんと愛してたよ。茜くんへの想いとは少し違った。それだけだ」
せっかく泣き止んだのに、椎のせいでまた涙が溢れた。
「せっかく泣き止んだのに、また泣くのか」
「泣かせたのは椎ちゃんでしょ……」
「ははっ。それもそうだな」
椎は呑気に笑っている。
椎はいつだって、一花の涙腺をコントロールするのが上手い。
大人で、男臭くなくて、どこか中性的な顔。よく見れば、椎と雪は少し似ているかもしれない。
「……もう」
頬杖をつきながら、優雅にティーカップを口につける椎と目が合う。
すると、
「きれいになったな、一花」
「……なにそれ。振られたばっかの女に」
「振られてない。一花は振ったんだよ」
「…………もう、どっちでもいいよ」
一花は視線をそっと窓へ向けた。可愛らしい格子窓からは、鮮やかなオレンジ色の西陽が差し込んでいる。空には雲ひとつなく、澄み渡っていた。
「……そうだな。もう終わったことだ」と、椎が言う。
視線を戻すと、椎は微笑んでいた。一花はふいっと目を逸らした。
「……やっぱりミゼラブル、しょっぱいじゃん」
「嘘。じゃあひとくち」
椎が無防備に口を開けて、一花に寄る。
「自分で食べてよ」
ぴしゃりと言うと、
「いいじゃん、おにーたんにも食わせて」
昔、一花は椎をそう呼んでいたのだ。懐かしい呼び方に、一花は思わず赤面する。椎はまったく気にした素振りもなく、一花に顔を近づけた。
「……仕方ないな」
小さくカットして、口に入れてやる。
椎の唇の端にクリームがついた。
「あ、ごめんクリームついた」
指先で拭うと、その手をパッと掴まれた。そのまま、指についたクリームをぺろりと舌で舐め取られる。
「!?」
「……あぁ、悪い。ついくせで」
「くせって……」
椎は仕事柄、スイーツを残すことを嫌う。クリームひとつでも無駄にはしない。
とはいえこれは……。
「……椎ちゃん、それ他の人でやったら……」
照れてしまったことが悔しくて、口を尖らせて椎を見ると、
「……あ、本当だ。しょっぱ」
「え、嘘?」と一花が目を瞠る。
「嘘」
椎はそういうと、一花を見つめて小さく笑った。
「もう! 椎ちゃんなんて嫌い!」
「昔はおにーたんおにーたんって、離してもくっついてきたのにな……」
椎は、一花を眩しいものでも見るように見つめて目を細めた。
「だから、そういう昔の話をするのはやめてっていつも言ってるでしょ」
「はいはい。悪かったよ」
すると、椎はすっと立ち上がった。
「椎ちゃん?」
怒ったのだろうか。不安になって椎を見上げる。しかし椎は怒っているというよりも悲しげな顔をしていた。
「厨房で仕事してるから、ゆっくりしてろ。あ、勝手に帰るなよ。送るから」
「……ん、分かった」
ビオラの砂糖漬けが、口の中でしゃり、と溶けた。