恋はひと匙の魔法から
(もしや、結婚……!)

 ついに、噂の恋人――工藤英美里とゴールインしたんだろうか。自分の妄想ながら、フライパンで思い切り横っ面を殴られたような衝撃を受け、透子の顔がサッと青ざめる。
 諦めよう、諦めようと常々思ってはいたが、いざ現実として突きつけられるとこうもショックを受けるとは。衝撃が大きすぎると、もはや涙も出てこず茫然とするのみだということを今初めて知った。
 向こう一週間は、絶望の淵から這い上がれそうにない。

「図々しいことだっていうのは重々承知で、その、頼みがあって――」

 一人勝手に打ちひしがれながらも、透子の耳は律儀に西岡の言葉を拾っていた。
 頼みがある、と言った西岡は、それきり口を閉ざし逡巡している。その間も動揺を募らせた透子の心臓は今にも飛び出しそうなほど大きく脈打っている。
 いっそのこと一思いに言い放って切り捨てて欲しいと自棄を起こしそうになっていた時、西岡が重苦しく口を開いた。

「………………俺の弁当を作ってくれないか?」
「…………へ?……お、お弁当、ですか……?」

 予想だにしなかった台詞に、透子の声が裏返る。
 結婚の話でなかったことを安堵する以前に、透子の脳内は疑問で埋め尽くされていた。
 お弁当ってご飯のお弁当のこと……?と、いまいち働かない頭で思考を働かせる。
 
 目の前の西岡はいたって真剣な表情で透子を見据えている。その面差しは、とても冗談を言っているようには思えない。
 とりあえず何か言わなければ、と衝動に駆られ、透子もまた背筋を伸ばして彼に向き直った。

「あの……お弁当って、お昼ご飯のことですよね?」

 おずおずと尋ねた透子の言葉を西岡は首肯する。

「昨日食べた透子の弁当、すごく美味かった……。あんなに美味いご飯は生まれて初めて食べたんだ……。昨日の昼からずっと透子の料理が頭から離れなくて、仕事も集中できなかった。それで思ったんだ、透子に弁当を作ってもらえたらって」
「そ、そうなんですか……」

 熱烈に褒めちぎられて透子は思わず椅子の上で後ずさった。まるで口説かれているようだ。残念ながらその対象は透子自身ではなく、透子の作る料理だが。
 それでも熱っぽい彼の眼差しを一身に受けて、透子の全身が火照り出す。

「毎日じゃなくて、週一度だけでいいんだ。謝礼ももちろん払うつもりでいる。だからお願いできないか」
「しゃ、謝礼って……。そんな、お金をいただくような代物じゃないです」
「いや。冗談抜きで今まで食べた中で一番美味かった。それくらい払う価値はある。だから頼む、透子……!」

 机に身を乗り出す勢いで懇願する西岡の声が二人きりの会議室に響く。
 いつもの冷静な彼からは想像できないほどの熱情だ。透子の心臓はバクバクと暴れ回っている。
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