恋はひと匙の魔法から
 同時に心の中で甘い期待が頭をもたげてくる。英美里と別れたからといって、透子が西岡と付き合えるわけではない。
 けれども今までゼロだった可能性が一くらいにはなったのだ。どうしても期待に胸が疼いてしまう。

 断る一択だった透子の天秤がここにきてグラグラと傾き始める。そんな透子の心の揺らぎを察知したかのように、西岡の目が鋭く光る。

「懸念ってそれだけ?」
「えーっと……」
「本当に気が向いた時でいいんだ。時間に余裕がある時に作ってくれると嬉しいってだけで強要するつもりもない。あ、でもそうか……透子の彼氏が嫌がるかもしれないのか……」
「いえ、彼氏はいないので、それは大丈夫なんですけど……」

 ここで、私が好きなのは貴方です、と言えればよかったのかもしれないが、生憎透子にそこまでの勇気はない。
 西岡は何故か一瞬意表を突かれたような顔をしたが、すぐさま表情を切り替え真摯な眼差しを透子へ向ける。

「さっきも言ったけど、強要するつもりはない。断ってもらっても、構わない。どうだろう…………ダメか?」
 
 声を一段落として、縋るように西岡が懇願してくる。
 眉目秀麗と呼ぶに相応しい、くっきりとした目鼻立ちから成る精悍な顔は憂いを帯び、萎れた様子で透子をじっと見つめている。
 こんなにも格好良い人が透子の料理を食べたくて悄気ているのだ。絆されるな、という方が無理な話だ。
 透子は観念して、控えめに切り出した。

「……お弁当を作るのは良いんですけど」
「本当か?!」

 ガタッと音を立てて立ち上がった西岡が、透子の手を握り込む。
 がっしりとした、男性であることを意識させる大きな手のひらで包まれ、透子は思わず顔を赤らめた。

「あ、あの……」

 透子の動揺を悟った西岡は一転して冷静さを取り戻すと、「ごめん」と言いながら手を離した。ほんの少し名残惜しいと思いつつも、透子は咳払いをして頬に集まった熱を散らし、改めて西岡へ向き直った。

「その、私のついでなので……謝礼とか経費とかそういうのは、やっぱり受け取れません」
「いや。ついでだろうと、透子の手間をかけることには変わりないから、そこは業務の延長だと思ってほしい。謝礼も給料と考えてもらっていい」

 西岡は、透子の申し出をきっぱりと両断する。
 業務の延長――透子がそれ以上踏み込むことのないよう、まるで線引きをするような物言いに、透子の笑みがほろ苦いものになる。
 西岡は割合頑固な性質だ。恐らく透子が謝礼を受け入れない限り、話は堂々巡りになるに違いない。
 透子は眉を下げ、仕方がないといった表情を作って彼の提案を受け入れることにした。

「わかりました。謝礼はありがたく頂戴いたします。でも経費はいりませんからね」
「分かったよ。じゃあ契約成立ってことで。本当にありがとう、透子」

 目の前に骨張った大きな手が差し出される。
 まさに、契約。そこに透子に対する気持ちは微塵もない。そのことを直視すると挫けそうになるが、透子は笑みを取り繕って逞しいその手を握った。
 
 こうして透子は恋人でもない、片想いの相手に毎日弁当を作るという奇妙な状況に陥ったのだった。
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