恋はひと匙の魔法から
 あ……と離れゆく体温に名残惜しさを感じたが、それも束の間、透子の手のひらが握り込まれた。
 指先と指先が絡み合い、結びつく。
 透子はひゅっと息をのんだ。心臓が早鐘を打つ。そのまま弾んで口から飛び出してしまうかもしれないと思うほどに、大きく鼓動を打っていた。

(な、んで……?)

 全く予想もしていなかった接触に透子の思考回路がショートした。緊張が最大限に高まり、唇を戦慄かせてそっと西岡を仰ぎ見る。
 前を見据える彼の横顔は普段と変わらぬ平静さを保っていた。彼が今何を思って透子の手を握っているのか、全く読み取ることができない。
 再びチャイムが鳴り、エレベーターは地下三階の駐車場に到着した。脳内が混沌を極め呆然としていた透子は、西岡に手を引かれエレベーターを降りる。
 駐車場に着いても尚、二人の手はしっかりと繋がれたままだった。会話はなく、剥き出しのコンクリートに二人の足音が反響する。
 彼の所有する黒のSUVの元まで行くと、パッと手が離された。そしてまるでエスコートをするように西岡は助手席のドアを開け、透子が乗り込むのを待っている。
 ただの部下にそんな真似をしないでほしい。愚かな透子はすぐに勘違いを起こしそうになる。自分は彼の特別なれたのではと。
 俯きながら透子が助手席に乗り込むとドアが閉められ、次いで西岡が運転席に乗り込んだ。

「透子」

 不意に運転席から声が掛かり、透子は体をそちらへ向ける。すると、ガシッと力強く手首を掴まれた。
 真っ直ぐな視線に射貫かれる。その刹那、時が止まったように透子の体は動かなくなった。
 助手席のシートに手を突いた西岡の端正な顔が近付いてくる。そう思ったと同時に、唇に温かいものが触れる。それは、本当に一瞬の出来事だった。

「嫌だった?」
 
 身を乗り出したまま、西岡はジッと透子を見つめる。車内のライトを受けて煌めく彼の焦茶の虹彩に目を奪われながらも、透子はゆっくりと首を横に振った。

「場所、変えるから」

 耳元でそう囁いた西岡は運転席に座り直すと、エンジンを始動させハンドルを回した。
 どこへ、なんて野暮なことを聞くほど初心じゃない。
 透子は己の唇に名残る温もりをなぞるように指先で触れながら、高鳴る心臓の鼓動を聞いていた。
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