恋はひと匙の魔法から
恋の味は甘くて苦い

幸せと不安

 ぐつぐつと煮立った鍋の中のじゃがいもに、竹串ならぬ竹箸を突き刺した。中央を穿たれたじゃがいもはホロリと二つに崩れ、欠片が鍋の中で溶けていく。
 芯まで煮えたことを確認した透子は、コンロの火を止め粉状のカレールーを振り入れた。するとたちまち、食欲を大いに刺激するスパイスの香りが上りたち、透子の鼻腔を擽る。
 溶け残りがないようぐるぐるとお玉でかき混ぜながら、透子はこの一ヶ月余りですっかり自分仕様に様変わりしたシステムキッチンを眺めた。

(初めに来た時はあのグラスしかなかったもんね……)

 文字通り何もなかった真っ新なキッチンを思い出し、透子は苦笑を漏らす。

 一ヶ月前、想いを交わした翌朝。西岡の家で夜を明かした透子は、彼に断りを入れてキッチンに立った。無論、朝ご飯を作るためだ。
 料理はしないと言っても、流石に食パンくらいはあるだろうと踏んでいたが、透子の見通しは甘かった。
 冷蔵庫の中にはペットボトルと缶ビールしか入っておらず、食パンどころか食べ物と分類される物が何一つとして見当たらなかった。
 フライパンや鍋などの調理器具も置かれておらず、キッチンにあるのは電子レンジだけ。あまりにも何もなさすぎて、この人今までどうやって生きてきたんだろう……と本気で心配になったほどだ。
 透子が唖然としているのを察知したのか、西岡が側に寄ってきてバツの悪そうな顔をした。

『あー、ごめん。俺の家、昨日買ったコップしかないんだよね』

 指を差した先には、昨日透子が選んで買っていたグラスがシンクの脇に置かれている。昨日までは食器もなかったらしい。
 自分とはかけ離れた西岡の暮らしぶりに衝撃を受けて呆けていたが、しばらくするとある意味で合理的なのかもと思えてきた。

 家でほとんど食事を取らないのなら、食器を使う機会がなくても当然だ。それなら食器を置く必要もない、のかもしれない。少々極端すぎる気もするが、その潔さもなんだか西岡らしいと思って微笑ましくなった。
 結局その日の朝食は、近くのカフェに行くことにしたのだった。
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