恋はひと匙の魔法から
 モーニングセットのBLTホットサンドを食べ終え、コーヒーを飲んでいると、西岡が『食器とか鍋とかって、やっぱりあった方がいいと思う?』と尋ねてきた。彼の表情はやけに神妙で、思わず透子は苦笑してしまった。
 
 調理器具はともかく、食器やカトラリーは最低限あった方が便利なのは確かだ。『やっぱり』と言うからには彼も薄々そう感じているのだろう。
 そう思って軽い気持ちで『あったら私が西岡さんのお家でお料理できますよ』と答えた。
 すると、翌週訪れた時にはひとしきりのキッチン用品が揃えてあったのだから驚いた。しかも、透子がボーナスで買おうとしていたホーロー鍋まで置いてあったのだ。
 ホーロー鍋は持ち帰ってもらっていいと言われたが、恐れ多すぎて丁重にお断りした。

 たまに作ってくれたら嬉しい、と西岡は言っていたが、透子は彼の家へ行く度に料理をすることにしている。自分の作るご飯を至極美味しそうに食べてくれる彼を見ると、幸せで心が満たされた。
 それに、料理で彼を繋ぎ止めていたいという打算もある。少なくとも、彼が透子の料理を好きでいてくれている内は、透子のことも好きでいてくれるだろうから。

 鍋の中のカレーにとろみがついたことを確認すると、透子は火を止めて蓋をした。夕食の時間にはまだ早いし、寝かせた方がカレーは美味しい。
 今のうちに調理台を綺麗にしておこうと濡れ布巾で拭きあげていたら、不意にお腹の辺りに腕が巻き付けられ、包み込むように抱きすくめられた。

「今日はカレー?」

 落ち着きを払った心地の良い低音が降ってくる。
 この至近距離だと、彼の顔を見上げるのに首を目一杯引き伸ばす必要がある。透子は敢えて振り向かず頷くだけにとどめた。
 
「はい。チキンカレーです」
「楽しみ」
「普通のカレーですけどね?あ、でも今日は福神漬けも手作りしてみました」

 心底嬉しそうに透子の頭に頬を擦り付ける西岡に愛しさが募った。
 魔法補正はあるものの、スーパーに売っている材料で作ったごく普通のカレーだというのに、彼はこんなにも喜んでくれる。
 透子の顔にも自然と笑みが浮かび、彼の胸に頭を預けた。

「カレーの準備はもう終わり?」
「はい。あ、でも夕食には早いんで、まだゆっくりしていてもらっても……」

 透子が料理をしている間、西岡は「ITサービス業界の今後の市場展開予測」という調査会社が取り纏めた小難しいレポートを真剣に読んでいた。
 部屋に充満したカレー臭が彼の集中を霧散させてしまったのかもしれない。現に、ダイニングテーブルにはノートパソコンが開きっぱなしだ。
 だから、まだレポートを読んでいても大丈夫と言いたかったのだが――
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