新そよ風に乗って ⑥ 〜憧憬〜
ドアの方を見たまま、急に声をあげてまゆみが立ち止った。
「この私の目に狂いはないはずだから、高橋さん。そうするはずでしょうけど、心配だから病院にも連れて行って下さいね」
「ああ。分かってる」
高橋さんもまた、まゆみを振り返るでもなく背を向けたまま返事をしたので、直ぐに出ていってしまったまゆみに高橋さんの声が届いたかどうかは定かじゃなかった。
うわっ。
高橋さんが、寝ている私のベッドの端に腰掛けた。
「大丈夫か?」
「すみません。まゆみが失礼な……その……余計なことを言って」
謝って済むことじゃない。
まして、寝たままで。
それに、高橋さんとのことをまゆみに話していたことも知られてしまった。
「余計なことじゃない。事実を彼女は言ったまでだ」
「そ、そんなことないですから。本当に、私は大丈夫ですから」 
慌てて否定をしながら、高橋さんを見た。
エッ……。
高橋さんは少し俯いていたが、何故か穏やかな表情と優しい眼差しでベッドの縁を見ながら微笑んでいるように見える。
「お前は、何時もそうやって頑張るから」
高橋さんが、ジャケットの内ポケットから携帯を取り出すと、何処かに電話を掛け始めた。
「もしもし、高橋と申しますが、外科の医局に繋いで頂けますでしょうか」
外科の医局って、もしかして……。
「もしもし、高橋と申しますが武田先生は……ああ、ちょうど良かった。今から病院行きたいんだが、今晩当直だったよな?……ん? いや、俺じゃなくて矢島さん……。そう、よろしくな。それじゃ、後で」
高橋さんは、明良さんに電話をしているようだった。
その内容から察して、このままだと明良さんの病院に連れて行かれてしまう気がする。だとすると、高橋さんは宴会に出られなくなってしまうし、何より仕事以外で高橋さんと一緒に居ることになってしまう。
そんな息が詰まりそうな時間を、今は気持ちにも余裕がないし、高橋さんと一緒には過ごしたくない。その後、また辛くなるだけだから。
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