新そよ風に乗って ⑥ 〜憧憬〜
「明良は、いつも患者さんの話を聞く立場だから、仕事を離れれば逆の立場になりたいのかもしれない。まあ、もっとも同じ職業でも仕事を離れたら静かに過ごしたい人も居るだろうから、これはやっぱり性格だよな」
明良さんも、色々大変なんだ。それを分かっている高橋さんも、凄いな。 
「すみません。送って頂くことになってしまって……」
駐車場までの道程、高橋さんと並んで歩きながらお詫びをした。
「ん? だって、誘ったのは俺だし」
高橋さん……。
高橋さんが左側に居る私の方に首を傾けながら、左手で私の右頬を軽く抓った。
「ウィヒッ」
「フッ……おもしれぇ」
高橋さんは、私の変な声を聞いて空を見上げながら笑った。
「もう! 酷い」
エッ……。
右頬から離れた高橋さんの左手が、私の右手をギュッと握った。
咄嗟に高橋さんの顔を見上げると、目が合ったが高橋さんは何も言わずに、ただ手を繋ぎながらそのまま歩いている。
嗚呼、緊張する。
たかが、こんな些細なことと思われるかもしれないけれど、こんな些細なことのひとつにひとつにドキドキしてしまう自分が居る。これは昔からだけど、そんなことにも緊張して嬉しかったりする自分は、やはり幼稚なのかな。高橋さんの落ち着いた立ち振る舞いが、とても大人に見える。
車に乗って私のマンションへと向かったが、深夜だったのであっという間にマンションに着いてしまい、高橋さんが助手席のドアを開けてくれた。
「おやすみ」
「おやすみなさい」
あっ……。
高橋さんと、また無言で見つめ合う。
高橋さんは、何か私に話したいのだろうか?
まさか、さっき佐藤君に言ったことはその場凌ぎだったとか?
でも……。
『佐藤に言った通りだ』 って、言ってくれたのは……あれは……。
「フッ……まるで、古人の糟粕だな」
エッ……。
古人の糟粕?
「古人の糟粕……ですか?」
「ああ。自分が本当に思っていること、考えていることは、言葉や文字にして上手く伝えられないってことだ」
高橋さん……。
まさか、高橋さんに限って。
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