新そよ風に乗って ⑥ 〜憧憬〜
あっ……。
この声の主は、高橋さんだと直ぐに分かった。
「とんでもないです」
あれ?
女性の声……。
「そんな、謝らないで下さい」
この声は、土屋さん!
確かに、金曜日の一件以来、土屋さんが高橋さんの席に来ることが多くなっていて、 『社食でも一緒に居たよ』 と、まゆみが教えてくれたが、頻繁に2人が会話をしていることは何となく知っていた。
「高橋さぁん。もう、良かった。やっと、捕まえた」
思わず、その言葉に階段を下りる足を止めた。
立ち聞きは悪いと思ったが、上の階に戻るにしても足音がしてしまいそうだし、このまま下りて行くのも何だか気が引けて、その場に立ち止まるしかなかった。
「メモは拝見していたのですが、何度もいらしてくれたみたいで、申しわけなかったです。会議が立て込んでいて、忙しかったものですから」
高橋さんが、土屋さんに謝っている。
「高橋さぁん。気にしないで下さい。私が好きで、伺っているんですからぁ。ところで、高橋さん。今日の帰り、お時間ありますぅ?」
また……まただ。
土屋さんが、高橋さんを誘っている。
仕事が終わってから、会う約束。
この前から何だかとても親密だけど、何なんだろう?
でも、きっと高橋さんも忙しいし、今日は断るよね?
「ああ。大丈夫ですよ」
嘘……でしょう?
高橋さん。
また、土屋さんと一緒に何処かに行くの?
「やった! 嬉しい。それじゃあ、終わったら警備本部で待ってます」
「あぁ……でも時間が分からないから、先にいつものお店に行っていてくれませんか?」
いつものお店? 
もしかして、土屋さんと行きつけのお店があるの?
それって……そこで、いつも2人で会っているってこと?
2人の会話を2階ぐらい上の階から聞いているので、必要以上に声が響いて聞こえる。
そのせいで、自分の鼓動もいつも以上に大きくて、周りに聞こえているのではないかと錯覚するぐらいどんどん早くなってきているのが分かった。
そんなに頻繁に、高橋さんと土屋さんは会っているの?
この前、高橋さんが私に言ってくれたことは……単に慰めるためだけに言ってくれたことなの?
そう言えば、佐藤君との一件以来、高橋さんからは何も言われていないし、プライベートで会ってもいない。
勝手に、私が信じて待っているだけだと言われれば、それまでのこと。
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