新そよ風に乗って ⑥ 〜憧憬〜
でも、これは自分のため。
いつも高橋さんに直接聞かずに、1人で勘違いして不安が倍増しているだけだから。
そんな自分にさよならをして、もっと成長するためにきちんと聞くことは大切なこと。
そう気持ちを奮い立たせて高橋さんの顔を見上げると、高橋さんは腕時計に一瞬目をやりながら私を見た。
「悪いが、これから約束があって急ぐから。それじゃ、お疲れ様」
「お疲れ様……です」
高橋さんは左手を挙げると、走りながら雑踏の中へと紛れて姿が見えなくなってしまった。
高橋さん……。
青信号が点滅して渡り損なってしまい、歩道に立ったまま高橋さんの姿が見えなくなった方角をずっと見つめている。
いつも、聞けばきちんと応えてくれた。
ちゃんと、向き合ってくれていた。
でも今日は、はぐらかされてしまった……の?
それとも、応えたくなかったの?
知られたくなかったの?
高橋さんが、いつも自分で言っていたのに。
『俺は、逃げも隠れもしない』 って。
あれは、嘘だったの?
退社してくる人達が何ごとかと思って、立ち止まったままの私を振り返りながら、また青信号に変わった横断歩道を渡ろうと通り過ぎて行く。でも、そんなことはどうでも良かった。今は、高橋さんの不可解な行動と態度に、失望と疑いの気持ちしか思い浮かばなかった。
「あれ? まだ居たんだ。高橋さんと、一緒に帰らなかったの?」
エッ……。
高橋さんという言葉に反応して声のする方を見ると、中原さんが立って居た。
出来ることならば、一緒に帰りたかった。帰りたかったけれど、高橋さんは土屋さんと……。
中原さんの問い掛けに、ただ首を振って応えるのが精一杯だった。
「何か、あった?」
何か、あった?
昼間、階段の踊り場での会話。
勇気を出して高橋さんに聞いたのに、応えてもらえなかった。
何か、あったといえば……中原さん。
「何か、あったというか……高橋さん。一目散に、土屋さんに会いに行っちゃいました。アハハ……」
何故だろう?
無理に笑って誤魔化すしかないような、この気持ち。
「何だよ、それ。最近、土屋さんが頻繁に高橋さんの席に来ていたのは知っていたけれど、何かの間違えなんじゃないかな? それより、矢島さん。大丈夫? 昼間より、顔色が悪いよ?」
「中原さん。大丈夫です。何か、もう……こういうのに、私慣れちゃったみたいです。アッハッハ……」
「アッハッハって、矢島さん。笑っている場合じゃないよ」
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