二人でお酒を飲みたいね。
 その後、俺は新しく設けられた相談室の室長に任命された。 ここに寄せられた相談事項はもちろん幹部社員にも共有される。
場合によっては外部の人間にも対応を求めることが有る。 警察沙汰にだけはしたくないな。
「そう思うから付け上がる人が出てくるのよ。 高木さん。」 「それはそうだけどさ、、、。」
「確かに警察のお世話になるのは私だって嫌よ。 でもね、セクハラが過ぎたりパワハラが過ぎたりしたらやっぱり警察沙汰になるのよ。 残念だけど。」 「割り切らなきゃいけないな。 内部だけじゃ解決できない問題も有るんだから。」
 丸一への道を歩きながら俺は初枝といつになく真正面から議論していた。 あのセクハラ問題もやがては判決が出るだろう。
それまで沼井だって裁判所に呼ばれることが有る。 自殺当時の経営責任者としてね。
彼は先代から深く信用されていた。 それで役職には就かずに社長の側近として実務をこなしていた。
販路開拓のノーハウとか商品開発のアイデアとか彼の頭の中にはたくさん詰まっていた。
でもそれを全て部下に委ねたのである。 そしてここまでやってきた。

 経営不振の責任を取って前社長が辞任すると取締役たちは空かさず沼井を指名した。 株主総会だってなあなあだった。
その後に吉沢が自殺してしまった。 もちろん彼は世間からものすごいバッシングを受け続けたさ。
そりゃあ、目も当てられないって言うのはこういうことを言うのかっていうくらいにね。 カスタマーセンターにも批判は集中した。
それを潜り抜けてやっとのところだ。 藤沢の自殺は痛すぎる。
 ここから1時間ほど車で走ると自殺の名所だって峠が有る。
そんなのに名所は要らないよ。 有難迷惑だ。
時々、その峠で自殺する人が居るって話を聞いたことは有るけれど、ほんとかどうかは分からない。
 でも確かに線香を手向けに来る人が居るのだから、そういう人も居るのだろう。
自殺を云々するつもりは無い。 已むに已まれずにそうせざるを得なかった人だって居るのだろうから。
でも死んでどうなる? 生まれ変わってきた時、また同じような苦しみを繰り返すんだぞ。
だったら精一杯に生きて生き抜いて悔いなく自分を燃やし尽くしたほうがいいじゃないか。
今は死にたくなるくらいに苦しいかもしれない。 でもさ、死んだからって何も変わらないんだよ。
生きてるからこそ変われるんだ。 そう思わないか?

 よく虐めた子と虐められた子と、どっちが悪いかって議論する人が居る。
虐めたってことは過去に虐められてたってことだよ。 虐められたってことは過去に虐めてたってことだ。
この世の中、全ては因果応報なんだ。 原因無しに結果は存在しない。
 今の結果を知りたければ過去の原因を見ればいい。
未来の結果を知りたければ現在の原因を見ればいい。
答えは簡単だよ。 やられて嫌なことはやらないことだ。
恨まれて嫌だったら恨まれないようにすることだ。 俺はそう思う。

 今夜も丸一は大盛況である。 そこへ俺たちが顔を出したものだから店員たちが飛んできた。
「いらっしゃいませ。」 「どうしたの? みんなで揃って。」
「いえね、大事なお客さんですから。」 「特別扱いは要らないよ。 普通の客なんだからね。」
そう言いながら栄田たちも奥のボックスへ、、、。 「今夜も飲もうぜ。」
「やってらんないよなあ ったく。」 「そうよねえ。 こうも事件ばかりじゃ、、、。」
いつもの五人組は今夜もメニューと睨めっこをしている。
「じゃあ、飲みますか。 ねえ、河井さん。」 「そうだそうだ。 飲め飲め。」
店員がビールジョッキを持ってきた。 「ここから気合を入れるためにも乾杯だあ。」
「オー!」 尚子も初枝も顔を見合わせて笑った。
これで一つ、吹っ切れてくれるといいんだけどなあ。
 俺は飲みながら楽しそうに談笑している栄田たちを見ながらそう思った。

 会社はというと少しずつ新しい顔も増えてきた。 営業部も少しずつ活気が漲り始めてきた。
(先代が生きてた頃みたいだな。 これでまた浮上してくれるといいんだが、、、。)
居座っていた取締役たちは全て解任されている。 そして新たに総務部が結成された。
部長は栄田である。 彼は新しいバッヂを胸に付けてどこか緊張していた。
「高木君、これからもよろしく頼むよ。」 「なんだい、急に改まって、、、。」
「だってさ、今まで俺は役職ってやつに就いたことが無いんだ。 緊張しちゃってさ。」 「ふつうにやってりゃいいんだよ。」
「その、、、ふつうってやつが俺には分からないんだよ。」 「なあに、有りのままでいいんだ。 栄田君らしく捌いてくれたらそれでいいんだよ。」
「こりゃあ大変なことになるわよ。 飲んべえの栄田さんじゃあ総務部が飲み会になっちゃうわ。」
「やばいなあ。 私そんなに飲めない。」 「おいおい、尚子ちゃんたち、、、。」
何とも言えない顔をしている栄田を見て初枝たちはドッと笑い出した。
「まあまあ、飲み会でもいいじゃない。 もっとも万年酔っ払いじゃ困るがね。」 「社長まで、、、。」
やっと少しずつ暗雲が晴れてきたような気がする。 沼井は皆を見回してそっと手を合わせた。

 やがて秋も過ぎ、ショールームの改装工事もいよいよ終盤。
勢いを失っている商店街に少しでも活気を取り戻そうとおしゃれな看板も設置された。
「いいねえ。 これは誰が考えたんだい?」 沼井は満足そうに看板を見上げている。
「柳田さんですよ。」 「彼女か。 センスいいんだねえ。」
初枝は総務部の部屋で仕事をしながら看板に見惚れている沼井を見下ろしている。 なんだか俺は嬉しかった。
叩かれっぱなしの沼井がやっと自信を取り戻してきたのだ。 (これからだな。)
 その夜、久しぶりに康子が家へやってきた。 「変わりは無さそうね。」
「変わったらお前だってびっくりするだろう?」 「変わらないほうがびっくりするわよ。」
「なんで?」 「ちっとは刺激も欲しいわねえ。」
「そうかい?」 「ずーーっと働いてるからうんざりしちゃってさ。」
椅子に座ると康子は頬杖をついた。 「嫌なことでも?」
「んんんんん、そんなんでもないけどさ、、、。」 でもどこか今夜の康子は疲れ切っているように感じる。
俺も隣に椅子を寄せて康子を抱き寄せてみた。 「甘えていい?」
俺は何も言わずに康子を抱き上げた。 そして、、、。
 静かな部屋の中で奪い尽くすように康子を抱いた。 「壊れちゃいそうだわ。」
これで死んでもいいと俺は思った。 それから俺たちは深い夜の中へ落ちていった。
< 38 / 58 >

この作品をシェア

pagetop