ヒーローは間違えない〜誰がために鐘は鳴るのか〜
「だからぁ、モラルハラスメントというのはぁ、モラルを盾(たて)に振りかざす矛(ほこ)であってぇ、そこに矛盾が生じていることを本人が気付いていないところに大きな落とし穴があるんだよ、わかる?ユウリぃ〜」

1時間後。

おしゃれなイタリアンリストランテバールの個室には、立派な酔っぱらいが1名出来上がっていた。

「そうだね。本当に矛盾してる」

「何が、『〇〇では常識』だよ。そこはそこ、うちはうちだろ?一般論で第三者を貶めるんじゃねぇっつーの。おめえが一番常識ねえよ」

本来、ヒカルは酒に強い。

だが、連日の不眠により憔悴しきった心と体は正直だった。

ビール1杯目から目が座り始め、実名は出さないものの、走り出した愚痴はもう止めることはできなかった。

本来の口の悪さも、もはや隠せはしない。

「そんなにひどいことを言われて、どうして言い返さないんだい?」

ヒカルが浴びせられてきた暴言の数々を聞くにあたり、テーブルに突っ伏したヒカルの後頭部を撫でながら、優しくユウリは尋ねた。

しかし、そんな正論も、もはやモラハラ被害にあっているヒカルにとっては耳タコでしかない。

「最初の頃はもちろん言い返してた。
でも、私が何かを言うたびに、後輩や先輩に八つ当たりをして被害が拡大するんだよ」

周りに被害が及べば、ヒカルが悩み、落ち込んで批判の手を緩めることを田島は知ってしまった。

『ヒカルくんが生意気なことを言うと、周りが迷惑するんだよ。知ってる?ふん、大人しく仕事だけしていればいいものを』

逆に、ヒカルは自分が被害を被っていれば、周りへの被害が最小限になると、必要のない学習をしてしまった。

大人としてのスルースキルも身に着けてしまった。

それでも納得いかないことはある。

プライドを持ってやってきた仕事を、意味もなく罵倒されたときだ。

その度に辞表を提出してきた。

たが、受け取ってすらもらえない。

ただ、励まされるだけ、宥められるだけ。

状況は何も改善されないのに『君は必要な人だから』と繰り返され、必要のないと思われる人は好き勝手に振る舞い、居残って、大切な人たちは去っていった。

そんな中、今年、何故か、ヒカルは主任に昇格させられたのだ。

周りは当然の評価だというが、結果、それは、田島からの嫌がらせをエスカレートさせるという、最悪の結果をもたらしただけであった。

「僕は君が立場のある人だから注意するんだからね?」

ヒカルの昇格は、田島にとってのモラハラの正当な理由を、1つ増やしただけだった。

やった仕事を常に批判される環境。

もう、ヒカルの心が限界に達してしまっても仕方のない状況といえた。



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