「好き」と言わない選択肢
「あっ…」

 思わず、空のジョッキを手にしたまま止まってしまった。

 木島遥。なんで、この人がここに居るんだ。第一、声をかけられるような間柄ではないはず。会社の中だって、すれ違う程度だし、だいたいこの人は私の事を知らないと言っていた。

「一杯だけ、一緒にどう?」

 こちらに顔を向けた彼と目が合った。少し疲れているように見えたのは気のせいだろうか? 
 改めて身近で見ると、確かにキリっと整った顔立ちをしている。でも、そんなに騒ぐほどの男なのだろうか?

 それにしても、どうして……
 すぐに、その答えにたどり着いた。休憩時間の第一企画部の会話だ。

 私は小さく息をつくと、カウンターの中に入った。


「何になさいますか?」

 彼に向かって言った。

「あっ、生ビールで」

 彼は、少し驚いたようだが、すぐにカウンターの奥に掲げられたメニューに目を向けた。
 私は、ジョッキを手にとりビールを注いだ。すでに用意されている、お通しと一緒に彼の前に置いた。

「えっと、焼き鳥の盛り合わせ」

 彼が言うと「はいよ」と。おじさんの声が帰ってきた。

 自分の分の飲み物を作ると、さっきのカウンターの席にもどった。

「乾杯!」

 彼がジョッキを上げた。仕方なく、私もジョッキを上げる。

「知り合いの店なの?」

 ゴクゴクとビールを流し込んだ彼が、やっと息をついたような顔をして言った。

「ええ」

「仕事忙しい?」

「ええ」

 しばらく沈黙が続く……話す事なんてない。


「先月上がってきた、今年の冬に向けた、アイスクリームの企画があるだろ? 第三てさ、いつも面白い事考えるよな。製品化されるのまで大変だけど。今回のも悪くないと思う」

 思わず、彼の方を見てしまった。まさか、真面目に仕事の話をしてくるなんて思わなかった。


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