スイート×トキシック

「……じゃあ行ってくるね、芽依」

 戸枠のところに立ち、彼はいつものように微笑む。

 さっき並べ立てられた言葉に返すようなことを何か言いたかったのだけれど、うまくまとまらなかった。

「行ってらっしゃい」

 ただそれだけを告げ、曖昧に笑って見送ることしか出来ない。

 それでも十和くんは嬉しそうに、満足気に笑みを深めた。
 その姿が見えなくなるとすぐに玄関と鍵の音が聞こえてくる。



 わたしはしばらく呆然(ぼうぜん)としていた。
 開いたままの部屋のドアを眺めながら。

 今さら罠だなんて疑う余地もない。
 なのに、何だかそれが逆に悲しくもある。

(何なの、この気持ち)

 矛盾だらけで、ちぐはぐで、自分でも追いつかない。

 あれほど切望した“自由”にようやく手が届くというのに、どうしてこんなに虚しいんだろう。



 顔を洗ったり、髪を()かしたり……朝の支度を淡々と済ませた。

 ダイニングへ行けば確かに彼の言っていた通り、テーブルの上にトーストが置いてある。

 ひとくちかじってみる。
 冷めてしまっていたが、バターが染み出して美味しかった。

 ふと周囲を見回してみる。
 ここへは初めて入った。

(広いなぁ……)

 この部屋も、十和くんの家自体も。
 こんな広いところでずっと一人暮らししているのかな。

 モダンで綺麗な雰囲気なのだけれど、どこか寒々しくて寂しい。
 ひとりでは広過ぎる。

(わたしが出て行ったら、ひとりぼっち?)

 学校では、彼の周囲には常に人がいたから、そんな単語とは無縁だと思っていた。

 でも実際には、見えないところで孤独を抱えていたのかもしれない。
 彼の家族の話を聞いたとき、垣間(かいま)見えた。

『……ちょっと、なに泣きそうな顔してるの。今さらもう辛いことでも何でもないって。芽依ちゃんがいるんだし』

 平気そうに笑っていたけれど、わたしを見つめる眼差しには(すが)るような必死さが滲み出ていた。

『君はさ……いなくならないでね。ずっと俺のそばにいて』

 彼の心の隙間を埋められるのは、わたししかいないんじゃないかな……。

(そう分かっていながら、置いて行っていいの?)
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