後宮毒見師伝~正妃はお断りします~

視えなくても

『一般の人は精霊を認識出来ません。ですから、いないものと同じです。だからすり抜ける』

──そうだ。

 夏晴亮(シァ・チンリァン)は馬宰相に言われた言葉を思い出した。

「馬先輩。視えない人は精霊を認識出来ず、最初からいない状態であるから触ることが出来ないそうです。逆に考えれば、いると思い込んだら視えなくとも触れるかもしれません」

「ほんと? やってみるわ!」

 思いつきで言ってみたが、理論上はそうなる。せっかく(ユー)の存在を知らせたので、馬星星(マァ・シンシン)にも雨を触ってほしい。

「いるいるいる。この部屋には犬がいる」
「阿雨、馬先輩の前に座ってみて」
『わん』

 夏晴亮か馬宰相以外懐いていない雨だが、指示通りきちんと馬星星の前に座って待てをする。夏晴亮が馬星星に合図をした。

「今です。ここにいるので、ゆっくり手のひらを当ててみてください」
「うん。いるいる、わんちゃん。イイコよ~怖くないからね~」

 視えない相手に話しかけながら手のひらを当てる。馬星星が目を見開いた。

「な、なんかいる……ふわふわしてるわ!」
「やった! この子が阿雨です。視えないけどいつもいるので、この子も含めて宜しくお願いします」
「分かったわ! あ」

 気を抜いた途端、馬星星の手がするりと雨の体をすり抜けた。やはり、術師でなければ認識しても触るのはなかなか難しいらしい。

「残念~」

 役目を果たした雨はさっさと歩き出し、夏晴亮の横に戻った。たった数秒の間であったが、雨の存在を実感出来て馬星星は満足したようだった。

『くうん』

 任務を達成して甘え出した雨を撫でながら部屋に持ってきた荷物を配置していく。といってもさして物は無いため、あっという間に完了した。

「足りない物は言ってくれ。何でも用意させる」
「とんでもないです。こんな広いお部屋を頂いただけで十分です」

 そう言うと任深持(レン・シェンチー)は口の端を上げた。

「ふ、欲の無い妃がいたものだ」

 任深持が帰り際に髪飾りを一つ渡した。側室になることを了承した際にもらった、今も頭の上で光り輝いている物よりは素朴な、しかし以前もらった物よりは華やかな髪飾りだった。馬星星がそれを見て笑う。

「愛されてるわね~」
「こんなに頂いていいのでしょうか」

「いいのいいの。きっと本当はもっと上げたいのよ。くれるものはもらっておきなさい。それに、側妃は身なりをきちんとしておかないと」

「そうですね」

 馬星星の言う通りだ。これからは一介の宮女ではない。才国の恥とならないよう、立派な妃とならなければ。
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