青春の坂道で
 薄くなくしょっぱくもなく昭和の頃の味がする。 おじいちゃんは丼を置くと奥の部屋に引っ込んでしまった。
このラーメン屋 太郎兵衛は1980年の創業だって。 その頃、俺たちはまだまだ宇宙の彼方をさ迷ってたよ。
 奥さんはご飯を炊いてお客さんの話し相手になってたんだそうだ。 おじいちゃんは料理を拵えるとさっさと厨房の奥へ引っ込んでしまう。
どっか気難しい人なんだな きっと。 職人にはそういう人が多い。
 ラーメンを啜りながら松本清張の話をする。 大志て知っているわけではないが、、、。
そこへガラガラっと戸が開いて客が入ってきた。 見ると経済学部の吉沢明彦先生である。
 むろん、俺も綾子も経済学部には縁も所縁も無いから軽く挨拶をしてまた丼に目を落とす。
モヤシにキャベツ、白菜にシイタケ、そしてちょっとだけ豚肉が入っている。 俺でも作れそうなラーメンだ。
 吉沢先生はというと炒飯と若芽スープをご注文のご様子。 おじいちゃんはまたまた愛想のいい顔でフライパンを握った。
ジューッという美味そうな音がする。 ニンニクが利いた炒飯らしいな。
 「ご馳走様でした。 また来ます。」 箸を置いた綾子は深々とお辞儀をして店を出た。 「美味かったなあ。」
「そうですねえ。 あんな具がたくさん入ったラーメンを食べたのは久しぶりかも。」 「これからどうする?」
「うーーーん、木下さんにお任せします。」 「そっか。 じゃあ喫茶店に行こうか。」
 付いてくる綾子を見ながら(いっちょ前に先輩面しちまったなあ。)と思った。
今日は本当にすることが無いんだ。 店も休みだし、ゼミも無い。
 あの喧しい連中と絡むことも無いんだ。 こんな日は珍しい。
喫茶店に入ると俺たちは一番奥のテーブルに落ち着いた。 そこへ芸術学部の連中が入ってきた。
 「マスター、アラモードを頂戴。」 「また昼飯か?」
「または無いよ。 マスター、、、。」 「ごめんなあ。 いつもの癖でそう返さんと悪いかと思ってさあ。」
 そんなやり取りを聞きながら俺たちはホットコーヒーを飲んでいる。 「面白い連中だろう?」
「そうですね。 さすがは芸術家だなって思います。」 ピカソだのゴッホだの、葛飾北斎だのって言われてもチンプンカンプン、何のこっちゃ分からん。
 確かにね、水彩画だの水墨画だの油絵だのって言われると、まあ何となく分からんでもない。
でも知ってるか? 江戸の版画は一枚500円程度で庶民が買っていたんだ。 しかもカラフルな絵をね。
 版画と油絵は根本から違うよね。 油絵は一枚の紙に絵の具を塗り重ねていくんだ。
だからこの世に一枚しか存在しない。 版画はそこが違うんだなあ。
 版画は色ごとに彫り分けてある。 赤なら赤、緑なら緑っていう具合にね。
それを一枚の紙に刷っていくんだ。 だから何枚でも刷り上げることが出来るんだよ。
そしてそれを安く庶民に売ることが出来た。 すごいよなあ。
ゴッホもドビュッシーも日本画に強く影響されていた。 ゴッホは「私はフランスの日本人だ。」と言い切ったくらいだ。
 面白いのは紙の再利用だね。 壁紙などに使った紙を漉きなおして襖などに利用する。
それが古くなったら漉きなおして習字紙にする。 それがさらに古くなったら漉きなおしてチリ紙にする。
一枚の紙が何度も漉きなおされて使われてたんだよ。 再生紙なんてまだまだ甘いね。
そこまで使える物は徹底して使ったんだ。 現代とは訳が違うね。
リサイクルなんて言うけど紙は全部燃やしてしまう。 それの何処がリサイクルなんだろうねえ?
 これくらいのことなら俺も知ってるよ。 うん。
綾子はというと興味津々な顔で俺の話を聞いている。 「へえ、そんなことが有ったんですねえ?」
 「cgsってチャンネルが有る。 そのチャンネルで配信してる日本史の動画を見たんだよ。 目から鱗が落ちたね。」 「私も見てみよう。」
2時の時報が鳴った。 「よし。 出ようか。」

 金を払うと俺はまた綾子と二人で外へ出た。 何も無い平和な昼下がりである。
白い雲がフワフワと飛んでいくのが見える。 その向こうをたまに飛行機が飛んでいく。
グルリト回り道をしてまた公園にやってきた。 ベンチに座ると綾子も背伸びをして本を開いた。
 「今日は私もここでお昼休みにしようかな。」 そう言って小説を捲っている。
4月になって3週間ほど。 ようやっと暖かくなってきたなあ。
 校舎の中ではゼミへ急ぐ人たちが先を争うように廊下を走っている。 時々右寄りの変なやつが噛み付いてくる。
地味に噂されている変なサークルで酔わされた連中だ。 俺にだって平気で噛み付いてくる。
 「知ってるか?」 「何をさ?」
「ロシアが日本を買おうとしてるんだってよ。」 「はあ? 誰がそんなことを言ってるんだ?」
「ロシアの有名な学者だよ。 お前知らねえのか?」 「知るも知らねえも、そんな話は聞いたことが無いんだけどなあ。」
「オーオー、日本がどうなってもいいのか? ロシアに買われちまったら俺たちはロシア人にされちまうんだぞ。」 「間違ってもそんなことは起きねえよ。 安心しろ。」
「うわーー、そう言って俺たちを騙す気だな? 容赦しねえぞ。」 「お前なんか騙して何になるんだよ? 雀の餌にもならねえよ。」
 「何だと? 俺を雀に食わせる気か!」 「お前じゃあ雀だって食わねえよ。 糞デブ野郎。」
「待てーーーーー! 話は終わってねえぞ! こら!」 ほんとに噛み付いてくるとうざいやつが多くて困るなあ。
サークルさんよ こんなうざいやつを学内に増やさんでくれ。 お願いだから。

 夕方になると役所のチャイムが聞こえてくる。 「ああ、読みふけっちゃった。 帰らなきゃ、、、。」
綾子はスカートを叩いてから立ち上がった。 「俺も帰るかな。」
「木下さん 今日はありがとうございました。 また誘ってくださいね。」 ニコッと笑う綾子に俺は思わずキュンとなった。
 部屋に帰ってくると夕食を作る。 呑気に鼻歌を歌いながら野菜を切っていたらおばちゃんがやってきた。
「あのさあ、葉書が来てるんだけど、、、。」 「ああどうも。」
感嘆に返事をして葉書を受け取る。 案内状だ。
(あいつも事故で死んじゃったんだよな。 行ってやらないと、、、。) 俺はふと考えた。
人って死んだらどうなるんだろうな? 幽霊になるっていう人も居るし成仏して仏様になるっていう人も居る。
本当の所はどうなんだろう? 仏様になるんなら地縛霊なんて居ないはずだよな。
それに水子の霊なんて言うけど本当に存在するのかなあ? 水子じゃなくて【見ず子】なんじゃないのか?
 あれやこれやとsfじみたことを考えてみる。 でも結論が出るわけもない。
俺は心理学者でもなければ霊媒師でも宗教家でもないんだから。 そうだろう?

 夜飯を食べてしまうと後は本を読みながら寝るだけ。 バイトも休みだ。
テレビを点けてみる。 なんか面白くない。
タレントさんたちはバカ騒ぎをしてるけど空回りしてるだけにしか見えなくて。 「アホらしいわ。」
 タレントなんていう正体不明の生き物が生まれて以来、バラエティー番組がただのバカ騒ぎにしか見えなくなった気がするのは俺だけじゃないだろう。 あんなんで本当に楽しいのかなあ?
たまには大暴走するタレントも居るわけで、、、。 その制御すらまともに出来ないじゃないか。
 まあね、社会でまともに働けない人間がタレントになっているって思うと変に納得できるよね。 対人関係もまともに作れないだろうし。
お馬鹿さんって言われてるうちが花なのかなあ? 虚しい生き物だねえ。
 だからってまだまだ道筋すら見えてない俺が偉そうに言えることでもないとは思うけど、、、。
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