幸せでいるための秘密
第五章 ルームシェアシェア
 波留くんは非常に多忙な人だ。

 土日にお料理の作り置きをする後ろ姿からは想像つかないけど、彼は今年から仕事を始めた新進気鋭の新人弁護士。任される仕事は多岐にわたり、早朝に出勤して毎日遅くに帰ってくることの繰り返しだ。

 だからどうしても、平日の私たちはすれ違うことが多い。私が朝起きる頃には波留くんはもう出勤しているし、私が着替えてお布団でゴロゴロしている頃、波留くんはやっと帰ってきて遅めの夕食を食べ始める。

 この日も同じく、いつもどおり定時で帰宅した私は、自分の分の食事を終えると波留くんの夕食の用意を始めた。用意といっても大半は作り置きされているので、料理をタッパーからお皿へ移して、温めたらすぐ食べられるよう盛り付けるだけ。それでも波留くんは大袈裟なくらい喜んでくれるから、毎日必ず準備するようにしている。

 トマト煮込みを取り分けていると、ピンポーン、と珍しくインターホンが鳴った。聞こえもしないのに「はーい」と返事してモニターを覗き込む。

 画面には何も映っていない。

(おかしいな? 確かにピンポーンって聞こえたんだけど)

 普通ならインターホンを押した人の顔が見えるモニターには、ただ真っ暗で少しかすれた映像が映るだけ。昔懐かしのピンポンダッシュかと思ったけど、それなら玄関先の風景が映るはずだ。

 とりあえず通話ボタンを押して、何も見えないところに向かって「もしもーし」と声をかけてみた。真っ暗な画面がかすかに揺れる。

 そこで気づいた。

 誰かが指でカメラを塞いでいる。

『……百合香』

 ひっ、と喉から空気が漏れる。

 お鍋に引っ掛けたままのおたまが床へ転がり落ちた。

『今ひとりだろ? 開けてくれよ』

 彰良だ。

 間違いなく彰良の声だ。

 でも、どうしてここに。パニックのあまり声も出せず立ちすくむ私をまるで無視して、彰良は笑いながら話し始める。

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