幸せでいるための秘密

「で、その……もしかして椎名くんは、波留くんに頼まれてここに?」

「まぁ、そういうこと。波留は仕事で忙しいから付き添ってあげられないってことで、これからは俺が中原の送迎係をやらせてもらうからね」

「それはすっごくありがたいんだけど、……椎名くん、仕事は?」

「俺? ニートだよ」

 爽やか笑顔で言う。

 なんともいえない表情をする私に、椎名くんも意図を悟ったらしい。「違う違う」と笑いながら慣れた手つきでハンドルを切る。

「ちょっと前に事業を全部売却してね。今はいわゆる充電期間ってやつ」

「あっ、そっか。椎名くん、大学の頃からいろいろ起業とかしてたもんね」

「そうそう。その辺のニートと一緒にされちゃ困るなぁ」

 確かにこの車だって、誰がどう見ても高級車とわかる豪華さだ。中は広くて座席はふかふか、それになんだかいい匂いがする。

 椎名くんの車に揺られながら、私は徐々に落ち着きを取り戻し始めていた。確かに車で移動すれば彰良と出会う心配はない。椎名くんには本当に申し訳ないけど、ほとぼりが冷めるまで送迎をしてもらえるのなら、私にとっては涙が出るほど嬉しいことだ。

(ただ、桂さんのお見舞いには行きづらくなっちゃうな)

 病院へ逃げ込んだあの日以来、私はときどき桂さんの病室にお邪魔するようになっていた。ただ遊びに行って少しお話をして帰るだけなのだけど、それでも桂さんはいつも嬉しそうに私を迎えてくれていた。

(まあ仕方ない。色々と落ち着いたらまた遊びに行かせてもらおう)

 車の中から街を眺めていると、いつの間にか見慣れた風景が遠ざかっていることに気がついた。ここはどこだろう、隣町? 標識の名前は見覚えあるけど、今まで足を踏み入れたことはない高級住宅地の地名だ。

「椎名くん。私の家、こっちじゃ……」

 言いかけてカッと頬が熱くなる。『私の家』だなんて、いったい何を言っているんだろう?

 椎名くんはたぶん、私の赤面の理由に気づいたのだろう。軽く肩をすくめて茶化すように笑いながら、正面の道を顎で指す。

「まあ見てて」

 車はどんどん先へ進み、うんと顔を上げても頂上が見えないような巨大な建物の前で停まった。これは、いわゆるタワマン……だよね? チラシでなら見たことはあるけど、こんなに近づいたのは初めてかもしれない。

「荷物、持てるだけ持ってって。でかいのは俺が持つから」

 そう言うと椎名くんは車のトランクを開き、見覚えのある鞄を渡してきた。見覚えあるというか、これ、間違いなく私の鞄だ。彰良の部屋から飛び出したとき、持ち物をぎゅうぎゅうに詰め込んだ旅行用鞄。

「これ、なんで――」

 言いかけた私の目の前に現れたのは、波留くんの家に置いておいたはずの三段重ねの収納ケースで、私は思わずその場でひっくり返りそうになった。

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