幸せでいるための秘密
*
18歳の春、新潟の実家を出て神奈川の大学へ進んだ私は、無駄に広い大学の敷地をひとりでうろついていた。
多くの大学生にとって勉強と同じくらい、いやそれ以上に大切なのがサークル活動。賑やかで楽しそうなテニスサークルとか、居心地のよさそうな文芸サークルとか、数えきれないほどの選択肢の中で、私が選んだのはひとつだけ。
弓道部だ。
中学も高校も弓道部がなくて、好奇心だけを育てながら今日までずっと耐えてきた。大学に入ったら、私もあの弓道着を着て格好良く弓を引いてみたいと、ずっとずっと思ってきたのだ。
容赦のない日差しに汗をかきながら、アスファルトを歩いてそれらしい建物を探す。やがて、うっそうと生い茂る木々の向こうに、それはあった。
整えられた芝生の道と、赤茶の土を固めた土手。そこに押し込められた白い的の上に、黒色の円が三重に描かれている。
あけ放たれた射場では、白い胴着と黒い袴をきっちりと着こなした青年が、分厚い手袋のついた右手で弦をぎりぎりと引き絞っている。
静止した空間。
魔法をかけられたみたいに時が止まったその中で、ふいに青年の右手が一文字を描いて外へ放たれた。
その瞬間、
パァンッ――
耳鳴りがするほど軽やかな音とともに、解き放たれた矢が一直線に飛んでいく。そして一度の瞬きを終えた時、それはすでに的の中央の黒点を射抜いていた。
青年は両手を広げたまま、嬉しくもなんともないような顔で的をじっと眺めている。そして、すっとその手を腰へ戻すと、射場の奥へと消えていった。
(すごい……!)
テレビや動画でしか見たことのなかった本物の弓道の姿に、私はすっかり心を射抜かれていた。リュックの肩ひもを両手で押さえ、ばたばたと弓道場へ駆け寄る。焦る思いで引き戸を開けて、靴だけはきちんと揃えてから、震える足でそっと射場に踏み込んだ。
「あのっ!」
広い射場の中にはただ一人、胴着の青年だけが立っていて、右手の皮手袋を外そうとしているところだった。さっきの彼だ。
「私、中原百合香って言います。文学部一年生です! 弓道部に入部したくて来ました!」
「えっ」
彼は軽く目を見張ると、私の顔を凝視した。それから落ち着かない様子で辺りを見回し、更衣室の方へ向かって「先輩」と声をかける。
更衣室からは人の笑い声こそ聞こえるものの、人が出てくる様子はない。仕方なく彼は手袋をつけたまま、真っ白な足袋で床板をかすかに軋ませながら近づいてきた。
「法学部一年、波留樹です」
えっ、同い年?
驚く私に、波留くんはほんの少しだけ頬を染めると、
「……よろしく」
と言って、花開くように微笑んだ。
18歳の春、新潟の実家を出て神奈川の大学へ進んだ私は、無駄に広い大学の敷地をひとりでうろついていた。
多くの大学生にとって勉強と同じくらい、いやそれ以上に大切なのがサークル活動。賑やかで楽しそうなテニスサークルとか、居心地のよさそうな文芸サークルとか、数えきれないほどの選択肢の中で、私が選んだのはひとつだけ。
弓道部だ。
中学も高校も弓道部がなくて、好奇心だけを育てながら今日までずっと耐えてきた。大学に入ったら、私もあの弓道着を着て格好良く弓を引いてみたいと、ずっとずっと思ってきたのだ。
容赦のない日差しに汗をかきながら、アスファルトを歩いてそれらしい建物を探す。やがて、うっそうと生い茂る木々の向こうに、それはあった。
整えられた芝生の道と、赤茶の土を固めた土手。そこに押し込められた白い的の上に、黒色の円が三重に描かれている。
あけ放たれた射場では、白い胴着と黒い袴をきっちりと着こなした青年が、分厚い手袋のついた右手で弦をぎりぎりと引き絞っている。
静止した空間。
魔法をかけられたみたいに時が止まったその中で、ふいに青年の右手が一文字を描いて外へ放たれた。
その瞬間、
パァンッ――
耳鳴りがするほど軽やかな音とともに、解き放たれた矢が一直線に飛んでいく。そして一度の瞬きを終えた時、それはすでに的の中央の黒点を射抜いていた。
青年は両手を広げたまま、嬉しくもなんともないような顔で的をじっと眺めている。そして、すっとその手を腰へ戻すと、射場の奥へと消えていった。
(すごい……!)
テレビや動画でしか見たことのなかった本物の弓道の姿に、私はすっかり心を射抜かれていた。リュックの肩ひもを両手で押さえ、ばたばたと弓道場へ駆け寄る。焦る思いで引き戸を開けて、靴だけはきちんと揃えてから、震える足でそっと射場に踏み込んだ。
「あのっ!」
広い射場の中にはただ一人、胴着の青年だけが立っていて、右手の皮手袋を外そうとしているところだった。さっきの彼だ。
「私、中原百合香って言います。文学部一年生です! 弓道部に入部したくて来ました!」
「えっ」
彼は軽く目を見張ると、私の顔を凝視した。それから落ち着かない様子で辺りを見回し、更衣室の方へ向かって「先輩」と声をかける。
更衣室からは人の笑い声こそ聞こえるものの、人が出てくる様子はない。仕方なく彼は手袋をつけたまま、真っ白な足袋で床板をかすかに軋ませながら近づいてきた。
「法学部一年、波留樹です」
えっ、同い年?
驚く私に、波留くんはほんの少しだけ頬を染めると、
「……よろしく」
と言って、花開くように微笑んだ。