幸せでいるための秘密
 波留くんとの毎日は、私にとって初めての連続だった。男の人と手を繋ぐのも、キスをするのも、……それ以上も。

 何もかも初心者な私と比べれば、波留くんは、まあ、慣れていた方だと思う。どんな場面でもまごつくだけの私に、波留くんはいつも嬉しそうに微笑みながら、必ずリードして私にすべてを教えてくれた。

 これまたごく自然に、当たり前に、私は彼にどんどんのめり込んでいった。親でもしてくれないようなお姫様扱いをしてもらえて、毎日可愛いと言ってもらえて、好きだと、愛していると囁かれて。それはもう、ものの見事に有頂天になっていたと思う。

 だから私は、気づかなかった。

 自分の足元にどす黒い影が忍び寄っていたことに。




 波留くんはとても綺麗だ。顔立ちも姿も立ち振る舞いも、何もかもが洗練されていてどこに行っても人目を引く。

 後から聞いた話では、彼の存在は入試の時点で話題になっていたらしい。数々のサークルの勧誘を断り弓道部に入部した後も、彼は『王子様』なんて呼ばれて女子の憧れの的だった。

 そんな煌びやかな彼の恋人に収まる覚悟を、当時の私はまったく持ち合わせていなかったと言える。そしてそれは、あまりにも唐突に始まった。

「ない」

「え?」

「私の矢」

 弓道場の倉庫に保管しておいた私の矢が、一本も見当たらない。

 仕方なくその日は美咲の矢を借りて練習に参加した。しばらくして椎名くんが射場の裏に落ちていたと言って、矢羽根がはさみでズタズタに裂かれた私の矢を持ってきてくれた。

 次の日は、弓を包む弓袋が水たまりに捨てられていた。

 その次の日は、私の弓道着が泥まみれで外に投げ出されていた。

 連日続く不可思議な出来事を、私は波留くんには伝えなかった。さすがに鈍感な私でも、これらの悪意の出所くらいは知っていたから。

 彼女たちの名前は……なんだっけ。シオリと、あとはチナツと言ったかな。

 私と同じく二人とも初心者で弓道部に入部した子。髪色が明るくて、お化粧が上手で、高校の頃からずっとクラスの中心にいたであろう彼女たちが、私は最初から苦手だった。

 波留くん目当てで弓道を始めた彼女たちは、素行もあまり真面目ではなかった。二人は練習の日でも、道場に波留くんがいたらずっとくっついてお喋りしているし、波留くんがいない日は「じゃあいいや」と言って帰ってしまうこともよくあった。

 そんなわかりやすい彼女たちだから、私への態度も露骨だった。すれ違いざまの舌打ちや嘲笑。遠巻きに眺めながら容姿を馬鹿にされたり、水場を使う私の足を蹴ってどかそうとしてきたこともある。

 はじめは私も相手にしないよう心掛けていたけど、あまりにも長くこんなことが続いたせいで、頭より先に心が疲弊し始めていた。私は二人の姿を見ると動悸がするようになり、人の多い日中の道場から足が遠のくようになっていった。
< 52 / 153 >

この作品をシェア

pagetop