幸せでいるための秘密
「百合香、変な噂を聞いたんだが」

 波留くんの方から彼女たちの話を持ち出されたのは、私の部屋で二人で過ごしていたときだった。

 安物のソファで膝を抱えたまま、私は無表情にテレビを見る。その隣で、波留くんは真摯に私の瞳を見つめている。

「ただの噂だよ」

「…………」

「そんな心配されることはないって。大丈夫」

 笑顔を作って波留くんの方へ目を向けたとき、私は思わず息を呑んだ。

 その瞳に映るのは、まったく底の見えない暗闇。どうあがいても救えない悲しみ。長ったらしい言葉で修飾したって、決して言い表せないような、深く深く深い絶望。

 どうして波留くんがここまで思い詰めているのか、……あるいは彼が何に絶望しているのか、正直私にはわからなかった。頬に重い陰影を残し、波留くんは独り言のように続ける。

「まだ、頼ってくれないのか」

 底冷えするような、亡者のうめきのような声だった。

「樹くん」

「できることは全部やってきた。思いつく限り……それでもまだ、百合香は俺に本心すら打ち明けてくれないのか」

「違う、樹くん」

 私は焦った。彼の肩を揺さぶり、うつむく顔を覗き込む。

 そうしながら、彼の悲しみが私に乗り移ってしまったみたいに、胸の奥から黒いものが溢れ、涙となって漏れ出した。

 突然泣き始めた私を見て、今度は波留くんが驚く番だった。彼は戸惑いながらも私に声をかけ、そっと背中を抱きしめてくれる。

 彼の胸に顔をうずめながら、私は本音を洗いざらいぶちまけた。あいつら嫌い。大っ嫌い。あんなことを言われた。こんなことをされた。つらい。苦しい。消えてほしい。

 普段だったら言えないような汚い言葉もたくさん使って、私は胸に巣食っていた淀みを全部波留くんに見せつけてしまった。……自然と涙が止まるとともに、顔がさっと青ざめていく。最愛の恋人に、なんて醜い姿を見せてしまったんだろう。

「いつきくん、ごめん」

 嫌いにならないで、と続けようとした唇が、まるで言葉を遮るように彼の唇でふさがれた。

 流れる涙をすくい取りながら、キスはどんどん深みを増して、私の吐息さえ飲み込んでいく。自然と押し倒された身体がソファの上で仰向いて、覆いかぶさる波留くんの顔が逆光で暗く妖しく見えた。

「いいよ」

 唇を伝う銀糸の唾液を舌先で絡めとりながら、波留くんはうっすらと微笑んだ。

「俺が全部叶えてあげる」
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