婚約とは安寧では無いと気付いた令嬢は、森の奥で幸せを見つける
「……っ。そこにいるのは、サラタ殿、……だろうか」

 その瞳はもはや開かれることはない、頭部からの鮮血で覆われ、固く閉ざされていた。
 それでも、私の事を分かってくださるのか。

「はいっ……、サラタはここにおります」

 辛うじて動く右手が動き、その手が私の頬に触れる。反対の腕は剣を握りしめたまま、まるで縫い付けてあるかのように動くことはない。
 氷のように冷たい指先が、私の頬に張り付いていく。

「もはや、……貴女に何も告げる時間は無い。せ、せめて、これを……」

 そう言って最後の力を振り絞るように、懐から取り出したものは何かの宝石をあしらったペンダント。
 
「これは母上が俺に残した唯一の形見だ。君に、持っていて欲しい。そしてもし、……いや、忘れてくれ。お願、いだ……、どうか幸せになってくれ。……あい、し…………」

 もう、その口が開かれる事は無かった。
 それ以上、彼の口から言葉が紡がれる事はなかった。
 私は涙を流さなかった。
 私はただ、彼の手を握っていた。彼はもう、私の名前を呼んではくれないだろう。
 何故、私は涙を流せないのだろうか?

 それでも、彼の語り掛ける言葉があるのなら………。

「わたくしも愛しておりました、恐らく……」

 私はウイル様の亡骸を横たえて、形見の品を握りしめると、部屋を後にした。



 血が冷える。心臓が、肺が、体の中のあらゆる臓器が冷えていく。
 そんな感覚に襲われる。

 もう、失うものはないのだ。
< 24 / 34 >

この作品をシェア

pagetop