転生したら幼精霊でした~愛が重い聖獣さまと、王子さまを守るのです!~

2 思い出した前世

 ジーンの朝ごはんは金のりんごとミルクで、そのひとはいつもジーンがおいしそうに食べるのをただ優しいまなざしでみつめている。
「イツキさんは食べないのですか?」
 ふとジーンは胸に浮かんだ疑問を口にした。そのひと……イツキは、ジーンの問いかけにささやくように答える。
「私は必要がないので」
 テーブルを挟んで向き合った隣人は、食べ物もそうだが、最小限の言葉しか口にしない。
 彼は銀色の髪を長く伸ばして、首の後ろで結んでいる。透き通るような白い肌で、綺麗な作りの口元はほほえみを浮かべている。
 でも目は猛禽類と同じ金色をしていて、時に鋭くとがるときがあるのをジーンは知っている。彼の長い手足は鍛え抜かれていて動きも機敏で、ジーンのような子どもとは違う世界を知っている。
 イツキは、戦に従事したことがあるらしい。それ以上は触れられたくないようだったから、ジーンも訊かなかった。
 イツキは少し首を傾けてジーンに言う。
「家で直したいところや、樹の世話で困ったことなどありませんか?」
 そんなことよりイツキは、めったに人が訪れることがない樹の上で、ジーンの生活の細々としたまで助けてくれる大切な隣人だった。
 ジーンもほほえみ返してうなずく。
「いつも助けてくれて、本当にありがとうございます。お昼から上の方に行きたいのですが、一緒に行ってくれますか?」
 イツキはそれに、こくりと静かにうなずき返した。
 記憶に残る限り、イツキとジーンはずっと一緒に樹の世話をしてきた。そういう意味では家族に近いのかもしれない。
 ずっと一緒に……でも、いつからだったかなと思ったとき、ジーンはイツキがふいに空をにらんだことに気づいた。
「イツキさん?」
 ジーンが問いかけると、イツキははっと我に返ったようにジーンに目を戻した。
 彼は何でもないというように首を横に振ってみせる。
 イツキは穏やかに、優しく言葉を続ける。
「いつも通り一緒に行きましょう」
「はい……」
 ジーンはその言葉に、昨日もそうだったように思いながら、初めて聞いたようにも思う。
 今日はなんだかそういうことがとても多い。怖い夢を見たからかなと不安を抱くと、イツキはそんなジーンの心を見通したように言った。
「心を乱されないで。私があなたをすべてから守ります」
 お隣の大人にしては過分な言葉をジーンに投げかけて、彼はジーンをみつめた。
「……私はそういうものですから」
 彼の金色の瞳は、ジーンの記憶より確かな温かみを持っていた。
 イツキと樹を上って、樹の世話をしてから、太陽が沈む頃にジーンは住処に戻ってきた。
 ジーンは一人になってからもリュックを背負いながら、家の周りの樹の世話を続けていた。
 リュックの中にはイツキが分けてくれたパンや野菜、衣服の生地がたくさん詰まっていた。
(あ、お花だ)
 けれど花をみつけると、ジーンは嬉しくなってついしゃがんでしまう。
(お日さまの色をしてる。きれい)
 にこにこしながら覗き込んで花を見つめる。そうやって道草を食ってしまうと、日が暮れていても気づかなかった。
 小生意気な子ネズミが、いつまでも花を眺めているジーンに痺れを切らしてつつく。
「ごめんなさい。そろそろお家に入るよ」
 ジーンはようやく我に返ると、慌てて立ち上がろうとして足を滑らせた。
「わ」
 ジーンが木の幹から落ちそうになった、そのときだった。
 その瞬間、木々をしならせるほどの突風が吹いた。風はジーンの体を浮かせて、幹
から落ちる前に留まらせた。
「危なかった。あれ……?」
 周りを見回して、ジーンは動物たちがそわそわしていることに気づいた。
 動物たちは耳を伏せて体を強張らせたり、虫たちは大急ぎで枝の中に入り込んでしまっていて、何かを怖がっているような様子だった。
 懐かしいまなざしを感じて、ジーンはそちらに目を向けていた。
 ジーンが目を向けた先には人も動物もいなかった。
「これ」
 でもジーンは一枚の羽根を探し当てた。すっと伸びる筋を中心として、光沢のある銀色の羽毛で覆われた羽根だった。
 それはずいぶんと大きな鳥のものらしい。でもジーンはこの羽根を時々木々の中でみつけることはできても、羽根の持ち主の鳥は見たことがなかった。
(どんな姿なんだろう)
 大樹には大型獣もたくさん住んでいるが、鳥は皆手に乗るくらいに小さい。
 ジーンは輝くような銀色をまとう羽を持つ鳥を想像する。
(きっととても綺麗だから、遠くからでも見てみたいな)
 羽根にそっと頬を押し当てて、ジーンは顔を上げた。
 ようやく家の中に入ると、ジーンはイツキに貰ったパンや野菜を少しだけ食べた。
 その頃には辺りはすっかり闇に落ちていた。ジーンは油で灯りを点すと揺り椅子に掛けて、パッチワークを始めた。
(難しいな)
 木の国は穏やかながら四季がある。冬には北の氷の海から吹雪が流れ込んでぐっと冷え込む時が来る。そういう時のためにイツキは毛皮のローブを勧めるのだが、ジーンはあまり毛皮が好きではなかった。
 だから今年は冬に備えて、綿を布の間に入れて温かくするキルトの服を縫うことにした。
(今年の冬までに間に合うかな。私、ゆっくりだから)
 気は焦るだけで一向に完成する気配がない生地を、ジーンはため息をついて見下ろした。
 夜も更けてきた。揺り椅子に体を沈めたまま、ジーンはうつらうつらとし始める。
 ジーンの小屋はいにしえからの作りのままで、鍵をつけていなかった。外から入って来るものを、ジーンは何でも歓迎した。
 ふいに油の灯りが消える。頼りないながらもジーンの周りを暖めていた光が途絶える。
 けたたましい鳥の鳴き声を聞いて、ジーンは暗がりの中で目を覚ました。
 まだ辺りは真っ暗で、深夜の暗黒が広がっていた。
 暗さ自体は慣れている。ジーンが立ち上がったのは、周囲の異変に気づいたからだった。
 それは、鳥同士が激しく争っている声。
 耳を澄ませれば、風が止んでいた。植物の揺れる音もせず、耳鳴りがするほどの静寂が広がる。
(でも、みんな起きてる)
 動物たちは恐れながら、大樹の陰のあちこちで息を殺しているようだった。
(どうしたの……?)
 窓の外は、月の出ない闇夜だった。動物たちを守らなければという思いが、ジーンの足を突き動かした。
 外に出れば、暗闇は覆いかぶさるように広がっていた。それは当たり前の光景で、本来恐れるものではない。だが今夜のジーンは、胸が絞られるように不安だった。
 どこからか腐ったような匂いがしてきた。けたたましい鳥の鳴き声はまだ聞こえていた。
(うっ……)
 家から数歩のところでジーンの胸が不穏な音を立てて、痛みが走った。
 足元から力が抜ける。手をついて、やがて手で支えることもできなくなって、ジーンは枝の上で倒れ込んだ。
(……前もこんなことがあった)
 腐臭はどんどん強くなり、鼻を覆うほどの強烈なものになった。だがジーンはただ頬を枝の上につけたまま細い息をすることしかできない。
 大きな羽音が聞こえたかと思うと、木々の間から真っ黒な何かが飛翔した。
 粘液のようなものに包まれたそれは歪で、全体からすると大きな鳥のような形をしていた。
(鳥の形をした何かに襲われた)
 それは羽ばたくたびに黒い雫が地面に落ち、そこに生えている植物を腐らせてしまう。
 黒い鳥は翼に掠める葉や枝をへし折りながら、ジーンに向かって飛んでくる。
(それで、私は……)
 動けないでいるジーンの前に、山犬が飛び出してきた。震えながら、ジーンを背中に庇うようにして黒い鳥の前に立ち塞がる。
(だめ、逃げて。あれに触ったら……)
 どうにも声が出なかった。伸ばした手も、強張って地面に落ちる。
(……私のように、死んじゃう)
 黒い鳥がジーンに食らうように飛翔してきた時だった。
 空に、もっと巨大な鳥の影が映った。闇夜にくっきりと浮かび上がった姿は、空を割るようにして翼を広げて舞い降りた。
 鳥は槍のような爪を伸ばして、金色の光を迸らせる。
「ギャアアッ!」
 次の瞬間には、黒い鳥は引き裂かれて断末魔の悲鳴を上げていた。
 黒い鳥を引き裂いた巨大な鳥は、禍々しいような爪を黒い鳥から引き抜くと、大きく呼吸したようだった。
「……この世界まで追って来たか」
 聞き覚えのある男性の声が巨大な鳥から聞こえて、ジーンの耳を打つ。
「二度もジーンを殺めるなど、私が許さないのに」
 その言葉と共に、黒い渦が巨大な鳥をしゅるしゅると取り巻いた。
 まるで黒い虚空から生まれるようにして、ジーンの前に見慣れた隣人が降り立った。
 ジーンは動物たちがいなくなっていることに気づいた。辺りは再び静寂に支配されて、植物たちも囁きをやめていた。
 イツキは片膝をついて、ジーンに向かって屈みこむ。
 ふっとイツキに優しく額に口づけられて、ジーンは温かいものに包まれているように感じた。
 それは生まれる前に母親の胎内で守られていた時のような安息感で、ジーンの体の痛みを溶かして消し去ってくれた。
 眠気が押し寄せて来て、ジーンはそれを振り払おうと首を横に振る。
 そうしたら冷たい手で頬を撫でられて、その心地よさに今度こそジーンは眠りに落ちていった。




 翌日、ジーンはまだ太陽が昇らない頃に目を覚ました。
 空はまだ夜の名残がある。ジーンが目を開くと、部屋に入り込んでいる動物たちの眼差しとぶつかった。毎朝ジーンをつついて起こしてくれる小鳥たちも、今日は窓枠でじっとジーンを見つめているだけだった。
 体が熱っぽくて、重りをつけられているようにだるい。気を抜くとすぐに眠りに落ちてしまいそうだった。
 ジーンはどうにか眠気を振り切って、素足のままベッドを抜け出した。ふらつく足取りで戸口に向かう。
「……あ」
 扉を押して開くと、イツキが戸口の外に座っていた。
 途端、ジーンの中に流れ込むように記憶が押し寄せた。
 こことは違う灰色の街、湿気た夏の夜。仕事の帰りに黒い鳥に襲われて、ジーンは命を失った。
 けれど死んだ自分を抱えてイツキが壊れるほどに泣いて、どこかに連れ去ったのも覚えている。
 ジーンは少しの間意識を失っていたらしい。目が覚めたら、ジーンは元通りにベッドに寝かされていた。
 イツキはベッドの側の椅子に座って、沈痛な面持ちでジーンを見下ろしていた。
 動物たちは壁に張り付くように遠退いて、イツキを見ていた。
「私は、ひとじゃないんですね」
 ジーンがぽつりとつぶやくと、イツキは沈黙で肯定した。
「イツキさんは鳥……でした。私もそうなのですか?」
 けれどジーンがそう問いかけると、イツキは語気を強めて返す。
「私はあなたに仕える獣でしかない。私とあなたは何もかも違う。あなたは生命にとって特別なものです」
 イツキは首を横に振って言う。
「世界を転々として、私はあなたをここへ連れてきた」
 いつか見た穏やかな眼差しをジーンの上に降り注ぎながら、イツキは告げた。
「あなたは生命の結晶……精霊ですから」
 ジーンは首を傾げながら、せいれい、と繰り返した。
 それは初めて聞く名前のようでどこか懐かしいような響きを持って、ジーンの心に染み込んでいった。
< 2 / 21 >

この作品をシェア

pagetop