呪われた悪霊王女は、男として隣国の人質となる~ばれたくないのに、男色王子に気に入られてしまって……?~

11話 書庫にて


ベッティーナは呼び止めてくるリナルドの声を聞かなかったことにして、先に階段を登る。
すでに開かれていた扉を早足で通り抜け、しかし、そこでぴたりと足を止めた。いや、止めざるをえなかった。
建物の奥行きを侮っていた。
廊下を抜けた先に広がっていたのは、吹き抜けの3階建てで、しかも家が数戸立つような広い空間の壁一面が本で埋まっている。
もちろん書架もかなりの数だ。
近くの一冊には大きくサインが書かれており、著者からもらったらしい貴重なものまで置いてある。
「……こんなにもの本を公開しているのですか」
「まぁね。もちろん扱いには気をつけてもらっているし、本当に重要な本は屋敷で管理しているよ。それで、なにか言うことがあるんじゃないのかい?」
また、この状況だ。とことんベッティーナを揶揄いたいらしい、この御仁は。
舌打ちしたい気持ちに襲われ、本当にしてしまったんじゃないかと不安になるくらいだったが、どうにかそれを押し殺す。
「……案内をよろしくお願いします」
「はは、いいとも。でも、さっきより一層無理があるね」
リナルドはけらけら笑いながらも、すぐに新書のある棚へと連れて行ってくれる。
彼が勝手に語るところによれば、この書庫はリナルドが整備させたもので、配架の位置などは知り尽くしているとのことだ。
「元司書・ロメロが書いた本はこれだよ。といっても、魔導活版で印刷したものを使ってるから直筆ではないけど」
そうして、問題の一冊がベッティーナへと手渡される。
そのタイトルが酷似していることを改めて確認してすぐ中を開き、その場で読み始めた。
「座って読むといいよ」と声をかけられ、本から目を離さないままに席へ着く。
「はは、そこまでしがみつかなくてもいいだろ」
リナルドが揶揄うのを華麗に流して、あの霊が生前に手がけた作品の内容を念頭にして、ページをめくる。
飛ばし飛ばしになりながらも前半を読み終えたところで確信した。
「…………違う」
ストーリー自体は、受け入れやすく面白味もあって、なるほど出版に至るだけある。臆病な青年がその報酬を目当てに騎士団に加入し、仲間との訓練や戦を経験する中でだんだんと成長していくさまは、爽快感がある。
違うのは、ペラペラの作品との話だ。
タイトルこそ似ているが、中身はまるで違った。類似点を探ってみたが、ほとんど見当たらない。
つまり、ペラペラが霊障を引き起こしてしまった原因は全く違ったということになる。
「じゃあいったいなにが……」
手がかりだったはずのものが泡と消え、ベッティーナはここへきて、振り出しに戻される。
あの辞めた使用人がなにか関わっていることは間違いないのだ。
それが盗作じゃなかったなら、なにか。再び推論を積み上げていくには時間が少なかったが、なにかは、あるはずだし、あってほしかった。
ベッティーナは心が乱れているのを自ら察知して、耳元につけた歪なイヤリングを握りこみ、心を落ち着ける。あまり感情を出さないようにしながら、懸命に頭を巡らせる。
そこへ、その会話は流れ込んできた。
「ここに配架される本が届いてない? それはいつの話だい?」
いつのまにか隣の席を立っていたらしいことに、今さら気づいた。リナルドが、書庫の司書と立ち話をしている。
「お屋敷内の書庫から移管予定だったのが、二日前でした」
「……二日前なら、まだ書庫が封鎖されていない時だ。そうなると、ここに届いていないのはおかしいな」
「一応、翌日まで待って屋敷内の司書長様に問い合わせは行ったのですが、今は書庫が封鎖されていて確認のしようがないとの返事がありました。仕方がないですが、中には予約の殺到していた本もあったので、応対に手間どりました」
「まぁ中には発行数の少ない本もあったからね」
 二日前といえば、例の司書・ロメロが辞表を置いて去ったその日でもある。
 その届いていない本も何か彼に関係があるのだとしたら、ここはもうロメロを捕まえて直接尋ねないことには進まなさそうだ。
 その手がかりがなにかないかと考えて、ふと思いついた。
慌ててページを捲り、目当てのものを探す。そうして最後のページでそれを見つけた。
(やっぱりあった……!)
作者のサインだ。
あれだけサインの書かれた本を蔵書しているなら、もしくはと思ったのである。
ベッティーナは一応リナルドの注意がこちらへ向いていないことを確かめてから、そのサインに魔力を流し込み探索魔法を使った。
もしまだこの街にいるならば、網に引っかかる可能性はある。できる限り広範囲に渡らせようと懸命に魔力を練るのだが、しかし。
その必要はなかったらしい。
「近い…………」
それも、かなり。
目の届く範囲、というか、すぐそこ、書庫の中にいる。
それに気づくや、ベッティーナの身体は紐にでも繰られているかのように勝手に動き出していた。
感覚に導かれて本棚の間を歩いていけば、たどり着いた机で本に囲まれながらペンを走らせる焦げ茶色の髪をした一人の男がいる。その姿は、ペラペラにも被るものがあった。
「……『騎士団が明日を征く』」
タイトルを呟けば、そのペンは止まり、彼はつと顔をあげた。
少し間、ただ目線だけを交わし合う。
「も……もしかして、読者様ですか」
やがて彼は目線をあちこちに彷徨わせながら、弱い声音でつぶやいた。
その態度は、内向的だろう彼の人柄を実によく示している。
一応読者ではあるけれど、まだ序盤しか読めていないし、目的は別だ。ベッティーナは首を横に振る。
「リナルド様お屋敷にある書庫の件です。お勤めでしたでしょう?」
はっきりとそう言えば、その華奢な肩はびくりと跳ね上がった。そのあとは眉根を寄せながら、気まずそうに目を伏せてしまい、顔をうつむける。
「あなたが辞められた理由はなにでしょう?」
「……答える理由はありませんよ。もう聞かないでくれませんか、帰ってください」
「答えていただけるまでは、去れません。ご理由は?」
ベッティーナはなお問いかける。
引くことはしない。どんな事情があるのかは知らないけれど、こちらにも事情がある。
さらに追及しようとしたその時だ。歯をぎりっと噛む音がしたと思ったら、ロメロは急に立ち上がり、強く机を叩いた。
「なんなんだよ、あんたは! 少しくらい察してくれてもいいだろ!!」
静かで穏やかな空気が漂っていた書庫に、その苛立ちを孕んだ声は場違いだった。
耳をつんざくような勢いでそれは響き渡る。
書庫にいた人間のほとんどが動きを止め、こちらに視線を寄越していた。
そんななか、
「俺だって、俺だって辞めたくなかったさ……。あんなに本に囲まれている空間ってほかにない。働いていて幸せだったさ。だから今だって辞めさせられたのに、ここに来てるんだ。だから放っておいてくれよぉ……」
切られた啖呵はすぐに弱々しいものへとトーンダウンしていき、そのまま消えいってしまった。
その後ロメロは、散らかっていた机の上を淡々と片づけを行い、荷物をまとめ上げる。
それを前にしながらベッティーナは一つの引っかかりを覚えていた。
たしか屋敷で聞いたのは、彼自身が辞表を残して去ったという話だったはずだ。
まだ情報の整理ができていないでいると、
「ロメロくん、驚いたな。こんなところにいるだなんて」
「り、リナルド様…………!? な、なんで」
「そこまで驚くことないだろ。ここは、うちの書庫なんだ。それより、今の話詳しく聞いてもいいかな」
 さっきの騒ぎが、彼を呼び寄せたらしかった。
ベッティーナの背後から現れたリナルドは飄々としている。笑みを絶やさないまま、ベッティーナの横をすり抜けて、足音もなくロメロの元へと近づき、その隣へと座る。
柔和さを装ってはいるが、その実は逃げ道をなくしている。彼が王子である以上、こうなったら誰が断れようか。
たぶん彼自身は気づいてはいない。
善意や興味で知らずのうちにやってしまうのだから、恐ろしい。
周りが緊張感に包まれる中、彼だけは今もきらめく笑顔をたたえて首を傾げる。
これにはロメロも片付けの手を止めざるを得なかったようだ。はじめは口を閉ざしていたが、根負けしたのか口を割る。
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