呪われた悪霊王女は、男として隣国の人質となる~ばれたくないのに、男色王子に気に入られてしまって……?~

3話 旅の準備





そうして通達を受けたその夜、ベッティーナはさっそく出立へ向けた準備を始めた。
といって、荷物の整理自体はすぐに終わった。
この屋敷には随分長く暮らしたが、ベッティーナ自身のものはほとんどないためだ。
あてがわれていたものも最低限生活ができる水準の凡庸なものばかりで、とくに愛着もなかった。
唯一持っていく価値があるとすれば、何度も読み返した数冊の本と愛用していたメモ帳くらいで、それはもう荷物に詰め終えている。
とすれば、やるべきことは残り一つだ。
ベッティーナははさみを持ち、姿見の前に立つ。
少し膨らんだ胸は、すでに包帯で押さえつけてあった。一般的な貴族令嬢のように、夜会に参加する機会もなかったから、肌や髪を磨いてきたわけでも、女性らしい仕草や振る舞いを学んできたわけでもない。
あとはこの長く伸びた髪を切り落とせば、男のようにも見えよう。
はさみを髪の中へと通す。それを首元に触れるくらいまで開いたところで少し躊躇った。遠い記憶の中で、長い髪を慈しむようにすいてくれた人の顔が浮かぶ。
「……これは、あなたのためにもなるわ。ジュリー」
が、ベッティーナの決意は揺らがなかった。
それに、他人に切られるくらいならば自分の覚悟で、切り落としたかった。
歯切れのいい音が部屋に鳴り渡り、消える。
腰にまで掛かろうかという長い髪が床に落ち、代わりに耳元からは歪にゆがんだ五角形のイヤリングが姿を表したのを鏡越しに見る。
その中心で鈍く光る赤い宝石に目をやっていて、ふと、あることを思いついた。
ベッティーナはまず、ハウスメイドの直筆により書かれた明日の朝食に関するメモ書きに手を触れる。すると文字が黒いすすが立つように紙の上から浮き上がってきて、バツ印を作る。
「……間違いなく屋敷にはいないようね」
 探索魔法だ。
魔法を使える貴族家系の中でも、ベッティーナの魔力でしかできない魔術であり、その便利さから最初に身に着けた。
こうすることで、字に残った意志からそれを書いたものが近くにいないかを探ることができるのだ。
本来、アウローラの血筋はその魔力属性を「白」としており、こんな魔法を使うものはいない。得意なのはみな、精霊を用いた治癒魔法や浄化魔法だ。
一部には他の「赤」「青」「緑」「茶」といった属性を併せ持ち、それぞれ火、水、風、土を扱う事のできるものも存在するが……。
ベッティーナの魔力は、その属性のどれにも当てはまらない。
強いて例えるならば、塗りつぶしたような「黒」。それも、この一つだけだ。
これで、誰に見られる心配もないことが分かった。確証を得たうえで今度は、拳を握って右手中指に付けていた指輪に黒の魔力を注いでいく。
そうして、普段は指輪の中に入り込んでいる、とある存在を召喚した。
『……なんだ、ベティ。オレになにか用かよ』
音も立てずにゆらりと現れたそれは、鏡の中には映らない。
というか、普通の人間が見れば、声もしないし姿も見えない。霊的現象に敏感な人でもせいぜいが、感覚で察知できるくらいだろう。
しかし、ベッティーナにははっきりと聞こえるし、見える。
振り返れば、目を合わせることもできた。
その獅子のように勇猛そうなはっきりとした顔立ちは、頭に生えた小さな角以外には大きく人と変わらない。しかし袖の裏からは蛇が数匹顔を覗かせており、また少し宙に浮いているのだから、まず人ではない。
『ほう、髪を切ったのか。そういえば、昼間に聞いていたな。隣国に行くんだったか。ひひ、面白いことになったな』
彼は、プルソンという名を持つ悪魔だ。
悪魔は、霊の一種である。
霊は亡くなった生物の魂から生まれるとされ、生前の行いや死の理由などから、光の存在である『精霊』と、その対極である闇の存在・『悪霊』とに大別されるらしい。
精霊やその上位互換である天使は、「白」属性の魔力を持つ者が契約をすることができ、魔法の補助にも利用されるなど、人にとって有益だとして重宝・保護されているが……
一方の悪霊やその上位である悪魔は、不浄の存在とされ昔から忌避されている。
精霊・天使がすべからく誰にでも見えるのに対し、悪霊・悪魔の姿は基本的には誰の目にも見えない。
そのせいか、彼らの存在は今も強く恐れられ、なにか霊障沙汰らしき出来事があれば、すぐに精霊師による浄化が行われる。
もともとアウローラ王家は、「白」属性の魔力により天使や精霊の力を借りて、悪霊浄化を行うことで権威を得た家だ。
というか、周辺諸国の王家はほとんどその力がゆえに王家として成り立っている。
だが、そんな選ばれし王家の出でありながらベッティーナにはあるきっかけから「黒」の魔力に目覚めて、悪霊の類が目に見えるようになった。
そうなると、どんなに苦しんであげた魂の叫びも聞き入れられずに、問答無用で浄化され消されていったり彼らをただで見過ごせなくなった。
『しかも男の格好をして行くんだったな。ひひ、面白いな傑作だ。いいんじゃないか、つつましい女を演じるくらいならそっちの方がお前には似合ってんだろ。ひひ』
……たとえこんな奴でも、見捨てては置けないのだ。
ただそれは、別に甘やかすことと同義ではない。
「プルソン、煩わしいから黙りなさい」
ベッティーナはけたけたと笑っていたプルソンを睨みつける。すると、その甲高い笑い声はぴたり止まった。
『分かった、分かったから!』
一転して彼は、必死に助けを乞う。腰を思いっきりねじってやったのだ。
これこそがベッティーナの力である。
他のアウローラ家の面々とは違い、精霊と契約はできない。だが、悪霊・悪魔とならば契約を交わし、使役することもできた。
契約とは、精霊・悪霊たちにとっては命を与えられるようなものだ。
彼らは常に魔力を放出しながら生きながらえており、それを全て失えば消えてしまう運命にある。
だが、魔力を持つ人間と契約することで、それをまぬがれることができる。
指輪など、なにかしら身に着けるアイテムを器として、その魂を憑依させることで、契約者から常時魔力を得られるためだ。
プルソンのような上位存在である悪魔は、その魔力消費量も多くなる。
その魔力を十分に提供してやる代わりに、彼にはベッティーナの手足となってもらい、その特殊な能力を使ってもらっている。
そしてプルソンが余計なことをすれば、その身体を魔力で縛り操ることもできる。
「一つ聞くから答えなさい。今の私は、男性に見えるかしら」
『あ、あぁ前よりはな。だが、後ろから見るとまだ変だ。切り方が雑だ。もう少し自然に見せた方がいい。それとイヤリングは外さねえのか?』
「それは無理な相談ね。分かってるでしょう? それに、王族なんだからしていても不自然ではないわ。だから、他の点よ。具体的に教えなさい」
 その後ベッティーナはプルソンに後ろへ回ってもらい、鏡で調整をしながら自ら髪を切っていく。
『随分と入念だな。よほど失敗したくないと見える。まさかこの後に及んで、あの父親の期待に応えたいのか?』
「違うわ。私はただ、作家になれるように勉強をしたいだけよ。そのためにも、外に出られるのは願ってもないことなの」
 これは、ずっと懐に温めてきた目標だ。
 いつかは、何度も読み返してきた愛読書のように素晴らしい作品を書けるようになりたい。
この屋敷での幽閉生活の間ずっとそう思ってきたし、なにかがいい閃きがあればメモも取っていた。
が、ベッティーナにはこれまで、まともに勉強する機会はほとんど与えられなかった。習っていたのは、まだ小さなころ。話し言葉は悪霊たちとの会話などもあり上達したが、難しい単語や細かい文法は怪しいまま、世間に関する知識もない。物語を好きではあっても、触れられたものは数少なかった。
そんな環境がついに変わるかもしれない。
 通達を受けた際、すぐに受け入れられたのはそれが大きな理由だ。
「あなたも少しは退屈しなくなるんじゃないかしら。この屋敷にいるのも、もう飽きたでしょう?」
『ひひ、まあな。お前のそばにいりゃあいつかは面白いものが見れると思ったが、それは正しかったみたいだな』
 夜は、そうしているうちに更けていった。
 次の日、ベッティーナの変わりように屋敷の使用人たちが大層驚いていたのは言うまでもない。
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