呪われた悪霊王女は、男として隣国の人質となる~ばれたくないのに、男色王子に気に入られてしまって……?~

6話 霊障沙汰は書庫で。


     ♢

さらに、一週間程度が過ぎた。
怒涛の研修の日々は、今もなおも続いている。十年分の空白の時間は、簡単に埋まらないらしい。
日中はほとんど自由な時間を取れずに終わっていく日々だったのだが、その時は唐突にやってきた。
「では次は二刻後。少し空きますが、剣術練習場に来てくださいませ」
「……かしこまりました」
ついにこの時が来たか、とベッティーナはひっそり達成感に浸る。
やっとのこと日中に、自由な時間を得られたのだ。
まだ昼下がり、三の刻だ。いつもは太陽の落ちる六の刻が過ぎても始動が続いていたことを考えると、かなり余裕があるように感じる。
が、時間が有限なのは変わりない。
ベッティーナは頭を下げて、指導の監督をしていた執事が出ていくのを見送ると、すぐに行動へと移る。
足早に向かったのは、屋敷の中では西の端にある一つの建物だ。
「ここが書庫ね」
さすがに高揚感が腹の底からふつふつと湧き起こる。
ここにこれば、物語を読むことも、書くための勉強をすることもできる。要するに普段の研修とは違い、自分のしたい勉強ができる。
屋敷へやってきた時からその存在は知っていて、何度も訪れようと思ったのだが、過密日程でここまで時間が取れなかったのだ。
高揚感に任せて、ベッティーナは早速書庫に入ろうとする。が、よもやの足止めを食らった。
扉が開かなくなっているのだ。
「内側から鍵がかかっている……?」
やっと暇ができたばかりで、期待もさんざん膨らませてきた。諦められず、何度か戸を引いたり押したりと繰り返す。
そこで、あることに気づいた。
内側から流れてくる、そこはかとなく暗く、肌をそばだたせる空気感は、よく知っている。
一定以上に強い悪霊が、その力を暴発させて、いわゆる『霊障』を起こしている際に発するものだ。
それに気を取られていたからベッティーナは気づけなかった。
「今は開かないよ。ちょっと問題が発生していてね」
 すぐ後ろに、いつのまにかリナルドがいたのだ。にこにこと人のいい笑顔を浮かべながら、手元には本を数冊抱えている。
 ベッティーナは、瞬時に飛びのいた。
 この一週間は意識的に接触を避けてきたため、顔を合わせる機会もほとんどなかった。
そこへ突然に遭遇してしまうのだから、心臓に悪いったら。
「おいおい、そこまで警戒しないでもいいだろ?」
「……このような場所にいると思わず。申し訳ありません」
「僕の屋敷なんだから、どこで会ってもおかしくはないだろ? 君は本を読みに来たのかい?」
 本音としては、少しの会話も避けたいところだったが、それで不自然になって疑われても本末転倒だ。
「はい。研修の合間に時間ができたので息抜きに参りました」
「はは、相も変わらずずいぶんと端的な答えだな。勉強漬けの中で、本まで読もうと思うなんてよほど好きなんだね」
 鋭いものだ。それを言い当てられたら、首を横には振れない。
「その通りです。とくに物語が好きなのですが、アウローラ国には蔵書があまり多くありませんでした。そもそも本は高く、戦が多いなかではなかなか手に入りませんでした」
 もっともらしい話をでっちあげる。それに対してリナルドは、眉を下げて唇を引き結び、ベッティーナを見やる。
「そういう事情があったんだね。うちの書庫は、物語も多く取り揃えているよ、新書も取り扱っているよ。僕も本を読むのは好きなんだ。なんだか気が合いそうな気がしてくるね」
 いや、そんなことはまったくない、と。
ベッティーナは、彼の穏やかな春に差した木漏れ日みたいな、無条件に柔らかい表情を見て、心の中でにべもなく思う。
ベッティーナはどこまで言っても、陰だ。光の裏側でひっそりと呼吸をしているぐらいがちょうどいい。そういう意味では、真逆で相容れないとさえ言える。
「それで、この書庫はどこからも開かないのですか」
 だから話を切り替えた。
「あぁ、うん。どうやらそうみたいだね。無理に開けようとしても、だめらしい。理由は不明なんだけど、一つだけ思い当たることならあるよ」
 やはりリナルドも、霊障によるものと気づいているのだろう。
当たり前のことだ。彼本人が見えないとしても、あれだけ精霊を垂らしこんでいるのだ。精霊と悪霊はお互いを視認できるから、精霊たちに教えられているに違いない。
ベッティーナはそう考えるが、続いた言葉は斜め上からのものだった。
「実は昨日、うちに勤めていた司書が一人、辞表を残して消えたんだ。もしかしたらなにか恨みがあって、魔術師でも呼んで妨害魔法をかけたのかもしれない。
だから、不便をかけるけど必ず解消するからもう少し待っててもらえるかな」
 肩透かしを食らった感じで、ベッティーナはあっけに取られる。
 気づいていないわけがないのだ。間違いなく彼は、悪霊による霊障であることを理解している……はずだ。
 だがしかし、彼はまったく見当違いな線から、推理をしようとしている。
 これが演技で、理由は不明だが嘘をついているという可能性もなくはない。見た目通りに穏やかな雰囲気を纏う彼だが、逆に言えばそのベールに包まれた奥の本心は読みづらい。
 だが、そうだとすれば今度は理由がわからない。
「ん、どうしたんだい、ベッティーノ。目の焦点が合っていないようだけど?」
 指摘されてベッティーナは、一度彼と目を合わせる。
「いえ、妨害魔法をかけて辞めるほどとなると、どの程度揉めたのだろうと考えていただけです。他の線も考えたほうがいいかもしれませんね」
 それらしくふんわりとした答えで、ここは誤魔化しておいた。
 こちらから『悪霊の仕業では?』などと尋ねて、もしこの見える能力がばれたりしたら大問題に発展しかねない。藪から蛇をつつきたくなかった。
「お、理由を考えてくれていたんだね。手伝ってくれる気にでもなったかい?」
「……申し訳ありません。忙しい身ですから」
「はは、そうきたか。本を読む時間はあるんだから、都合がいいな。まぁ、無理に手伝ってもらう必要もないんだけどね」
 リナルドはそう残して、書庫の前から去っていく。
 その後ろ姿を見送っていると、さっそく精霊を召喚して、会話を交わしている様子が見られた。
……となると、やはり気付いている? もしくは精霊たちが言わないようにしている?
疑念は次々に生まれるが、ベッティーナはすぐにそれを振り払った。
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