偽装溺愛 ~社長秘書の誤算~
「酔ってだろうとうっかりだろうと許さない。力登や……っ、これから生まれてくる私たちの子供を愛情なしに傷つけようとしたら、私があなたを殺してやる」
殺害予告のような言葉に込められた、願い。
「わかった」
婚姻届に触れると、りとがそれを手放した。
薄っぺらくて拘束力抜群の一枚が、ひらりと彼女の足元に舞い落ちる。
俺はりとの手首を掴むと、引き寄せた。
彼女は何も言わず、黙ってベッドに上がる。
そして、俺は彼女の腰を抱き寄せた。
「『その時』は、迷うな」
「『その時』なんか来ないって、言わないの?」
「言わないよ。誰も、『その時』がくるなんて思ってもみなかったはずだろう?」
「そうね」
りとの両手が、わずかに重くなる。
「だから、その可能性がゼロじゃないのなら、俺は『その時』がこないように全力で努力するだけだ」
「じゃぁ――」
首が圧迫され、苦しい。
だが、それはすぐに解消された。
代わりに、唇に柔らかな重み。
「――私に『その時』がきたら、あなたも迷わないで」
「自信はないけど、な?」
クスッと笑うと、りとの瞼から雫がこぼれ、垂直に俺の頬に落下した。
「あなたと結婚する」
俺は手を伸ばし、彼女の頬に触れた。
「やっと聞けたな」
りとが俺の手に頬擦りする。
反対の手で彼女の肩に触れると、ドレスの肩ひもをおろす。
りとは上体を起こして腕を上げ、背中のホックを外した。
俺も身体を起こして、彼女の首筋に指を這わせると、外れたホックの下から小さなつまみを探り当て、ゆっくりと下ろす。
ファスナーの下には肩ひものない真っ白な下着。
ドレスを買った時、店員に勧められたビスチェというやつ。
やたらホックが多くて脱ぎ気が大変そうだと言ったら、『だからこそ、大切な日の大切な衣装をとびきり綺麗に魅せられるんですよ』と言われた。
俺は上からホックを外していく。
「この下着は、男の忍耐を試すためのものか」
「それは女にも言えるかも?」
ホックを外す手を止めないまま、首を伸ばして唇を触れ合わせる。
「早く触れてほしい?」
「女にそんなこと、言わせないで」
「興奮させてくれよ」
「随分ツラそうだけど、社長秘書様は自虐趣味がおありなの?」
「どうかな。こんな風になるのは、りと限定だから」
「誰にでも言ってるんでしょ」
更に、俺の過去に嫉妬するような口ぶり。
堪らない。
「だとしたら?」
りとの含みのある微笑み。
こんな風に意地悪な笑みを初めて見た。
「結婚の条件をひとつ追加するわ」
そう言いながら、俺を握る彼女の手がゆっくり上下する。
甘い刺激に、りとの下着を外す手が止まる。
いくら何でもホックが多すぎだ。
「なに……を――」
「――浮気したら――」
「――殺す?」
「へし折る」
思わず尻の穴に力が入る。
「マジで!?」
「マジで!」
「りと」
「いつもと立場が逆転ね」
「どこがだよ。俺がお前より有利だったことなんてないだろ」
「慣れてたじゃない」
「慣れてるから有利なわけじゃないだろ」
そうだ。
りとに触れる時、余裕があることなんてなかった。
そうでありたかったのに。
「楽しませてやるなんて言ったくせに、夢中になってたのは俺の方だった」
「そう……なの?」
「くそっ! 大誤算だ。お前に惚れたことも、一生敵わないことも、それでいいと思うことも」
やめろと言っておきながら、いざ手放されると寂しく思う。
りとが俺の腕を掴み、俺は上半身を起こした。
「それは、嬉しい誤算?」
「ああ」
顔を寄せると、りとが目を閉じた。
俺も目を閉じて、唇を重ねる。
優しく触れ、唇を開き、舌を出し、ひっこめた。
「りとと力登を愛せたことは、人生で最高に嬉しい誤算だよ」
りとは目を開かない。
伏せた睫毛が小さく震えている。
唇も。
もう一度口づけたら、頬が濡れた。
重なる唇がしょっぱい。
りとが腕が俺の首を抱く。
「りと……」
二人とも汗だくになって抱き合った後、脱力して目を閉じるりとの頬に貼り付いた髪を、指ではらった。
「水でいいか?」
りとが目を開け、頷く。
浅い呼吸を繰り返す唇、その度に上下する胸、潤んだ瞳、首筋に光る汗。
その全てが俺を興奮させる。
これは、まずい。
俺はそそくさと立ち上がってバスルームにいき、お湯を溜め、バスローブを羽織って、冷蔵庫からペットボトルのミネラルウォーターを二本持ってベッドに戻った。
「起き上がれるか? それとも、口移しで飲ませてやろうか?」
返事の可能性は半々。
期待も半々。
起き上がってくれたら少し残念だが、まだ余裕がある素振りを続けられる。
口移しを望まれたら嬉しいが、余裕なんて木っ端みじんに吹き飛ぶ。
りとは身体を横にして、起き上がった。
そこまで激しくしたつもりではなかったし、時間も、自分比ではあるがそう長くなかった。
だが、りとはゆっくりと身体を起こすと、ふぅっと息をついてベッドヘッドに背をもたれた。
キャップを外したペットボトルを渡す。
「大丈夫か? 悪い、加減が――」
「――大丈夫。なんか、色んな疲れがどっと……」
はははっと力なく笑い、水を飲む。
このひと月のりとの社内の様子だけでもわかっていた。
ずっと、気を張っていたのだろう。
無理もない。
登のいる家で力登と生活するのは、緊張や恐怖しかなかったはずだ。
「りと。明日から一緒に暮らそう」
「え?」
「身体一つで、いや力登もいるから二つだな。とにかく、何も持たなくていい」
「でも――」
「――一週間前に引っ越したんだ。もうあのマンションには住んでいない。今度の家は部屋数も多いし、会社からも――」
「――待って、待って! なんで――」
「――登に知られているし、部屋が違っても思い出すだろう? 色々と」
「だからって、わざわざ……」
頬を撫で、貼り付いた髪を払う。
「もう一つの誤算だな」
「……?」
「自分がこんなに執着の強い男だなんて知らなかった」
りとの頬にキスをして、離れがたさから鼻先を擦るように押し付ける。
「そう……なの? 執着っていうか、面倒見がいいんだろうなとは……思ったけど」
「りとと力登限定だ」
耳元で囁き、耳たぶを食む。
「――――っ! そういうっ、恥ずかしいことを言わないで」
「事実だ」
「~~~~っ!」