偽装溺愛 ~社長秘書の誤算~
15.溺愛禁止
「しっちょー、おいで」
力登が、首に紐を巻いたぬいぐるみに話しかける。
「おさんぽすんよー」
紐を手に持ち、歩き出す。
ぬいぐるみは引きずられ、フローリングに叩きつけられて跳ね上がり、横っ腹から着地する。
リビングを一周し、ソファによじ登って俺の隣に座ると、紐を引っ張ってぬいぐるみを引き上げ、胸に抱く。
そして、ぬいぐるみの背中をポンポンと叩いた。
「だーじょーよー」
俺にもたれて座る力登の頭を撫でる。
「随分喋るようになったな」
「おう!」
「練習したもんね」
りとが差し出したカップを受け取ると、一口だけ飲んでテーブルの中央に置いた。
コーヒーの温かさにホッと息をつく。
りとは自分のカップを持って、斜向かいに座る。
ソファは力登がよじ登れるギリギリの高さで、俺が座ると膝が立つ。正直、座りにくい。
俺は身体を少し力登の方に向けて座り直し、左足を右足に乗せて組んだ。
力登を腹に抱き、ソファの背に肘を立てて、頬杖を突く。
「力登。名前、変えないか?」
「んー?」
力登はぬいぐるみの尻尾を握ったり丸めたりして遊んでいる。
「いつまでもしっちょーって呼ばせるの?」
「ん?」
りとは自分の膝に肘を立てて頬杖を突き、俺を見ている。
いいな、と思った。
すごく、いい。
こうして一緒にいることが自然な、リラックスした時間がくすぐったいながらも安心する。
今朝、目が覚めた時、りとと力登のぬくもりに涙が出かかった。
幸せだと思って。
いや、幸せだった。
だが、その余韻に浸る間もなく事件が起きた。
正確には、起きていたから目が覚めた。
近年のおむつの吸収力には脱帽だが、それをもってしても防げなかった事態。
当然と言えば至極当然。
半日分の、しかも散々飲み食いした後の半日だ。
力登の腹から下はもちろん、俺のワイシャツも黄色く染まっていた。
慌ててりとを起こし、俺は力登と風呂に入った。
その間にりとはフロントに電話をして事情を話し、被害が深刻になる前に処置をしてもらった。
幸い、漏れてすぐに気づけていたらしく、クリーニング代の請求は免れた。
そんなこんなでバタバタとホテルを出て、新居のマンションにやって来たから、なおのこと今の状況にホッとする。
「力登」
「ん~?」
「今日からここが力登の家だぞ?」
「うん」
「わかってるか?」
「おう!」
力登はぬいぐるみのしっちょーを撫でたり捻ったり潰したりして遊んでいて、一丁前に空返事をしている。
俺は力登の頬を突いてちょっかいを出す。
「恋人にかまってもらえなくていじけてるみたい」
りとがクスリと笑った。
「夫に構ってもらえなくていじけてる奥さんみたいだな?」
「いじけてないです」
「いじけろよ」
「そういうの、面倒くさそうなのに」
「そうだったな。忘れてたよ」
りとがカップを置き、お尻二つ分俺に寄った。
「とりあえず、いじける前にかまって?」
俺の肩に手を置き、見上げる。
俺は力登の頬に触れている手を、彼の頭にのせて撫でた。
首を捻ると、りとが顔を寄せた。
軽く触れるだけの、キス。
いつもなら物足りないと思うだろうが、今は満足だ。
俺は力登を抱いて膝にのせると、おでこにキスをした。
りとは、頬に。
「きゃ~~~っ」
力登が目を細めて笑う。
「さっ。役所に行くか」
奇しくも今日は大安吉日。
結婚日和だ。