偽装溺愛 ~社長秘書の誤算~


*****


「本日はありがとうございました」

「今後ともよろしくお願いいたします」

 専務と緑陽園園長が握手を交わす。

 専務の隣には、梓さんと私。

 園長の隣には主任の娘さん。

 そして、上座には東雲社長。

 業務提携が無事に締結され、早速明日から新園舎の建設が始まる。

 トーウンコーポレーションに入社して半年ちょっと。

 全力疾走したプロジェクトの枠組みができた。

 新園舎や新運営体制、新入園児受け入れなど、形になるのはまだもう少し先だけれど、ひとまずひと区切りついた格好だ。

 私は園長と主任を見送るために、専務と梓さんと一緒にエレベーターに乗り込む。

「今日、力登くんはパパがお迎えなんですよね?」

 主任に聞かれて頷く。

「はい」

 お迎えの時間は十六時。

 今は十七時だから、もう家に着いているはず。

「私どもの都合でこの時間にしていただいたから、ご主人にはご迷惑おかけしてしまって」

「いえ! そんな――」

「――俵は日頃、働き過ぎなんです。結婚してからはそれほどでもなくなりましたが、有休消化も必要ですし、今後も如月の代わりに迎えに行かせましょう」

 専務の言葉に、梓さんは頷き、園長は微笑んだ。

「力登くんが喜びますね。いつも、パパのお話をしてくれるんですよ」

「そうなんですか?」

「ええ。パパが大好きなんですって」

「お喋りが上手になったことを褒めたら、パパが教えてくれるって嬉しそうに教えてくれましたよ」

 主任は私と同年代で、娘さんがいると聞いたことがある。

 いずれ、緑陽園の園長となるのだが、ご主人が小学校の特別支援学級の先生をしているらしく、今後は園にも特別支援教育を取り入れていきたいと話していた。

 緑陽園の未来は明るい。

「変われば変わるもんだな」

 専務が呟く。

「あなたが俵さんと一緒に保育園にお迎えに行くのも、すぐかもよ?」

「あら、それは楽しみですね。素敵なパパさんが揃って育児に協力的だと知れば、他の園児のパパさんたちも感化されるかもしれません」

「やっぱり、送迎は母親が多いですか?」

「そうですね。時代が変わったとはいえ、育児は母親の仕事と思っている人は多いですから。でも、これは父親に限ったことではないんですよ? 母親でもそう思っている人は多いんです。だから、父親が送迎しているのを見た他の母親が、その子の母親は子供より仕事を優先していると陰口を言ったりすることもあるようです」

 園長先生の言う通り、以前の保育園でも緑陽園でも、私が見た限り送迎しているのは母親ばかり。

「父親に送迎される子供が可哀想、なんて言われるのは許せませんね。父親にも失礼ですよ」

 専務の言葉に、園長と主任が頷く。

「ただ、子供がパパよりママがいいと言う場合も多いですよね? 前の保育園で、そう言っている方がいました」

「そうですね。それはもう、送迎がどうの問題ではありませんから、園ではどうすることもできないのですが」

「普段からいかに子供と関わっているか、ですよね」

「だって! 頑張ってね、パパ」

 梓さんが専務に笑いかける。

 苦笑いで頷く専務に、園長と主任が笑った。

「パパの方がいいと言われたら、それはそれでママはショックなんです。もし、ママがいいと言われても嫌われていると思わずに、ママに華を持たせてあげた、くらいに思ってめげないでください」

「ガンバリマス……」

「その点、力登くんはそんな心配なさそうですよね? あんなに俵さんに懐いてるんですから」

 梓さんに言われて、急に不安になった。

 理人一人でお迎えに行くのは、今日が初めてだ。

 結婚してから割といつも三人一緒だし、力登と理人が二人きりになるのは、私が買い物に出る小一時間程度だったりする。

 一緒にお風呂に入ったり、遊んだりはするけれど、寝かしつけは私か、三人で寝る。



 迎えに行って「ママが良かった」とか言われたら……。




 大丈夫だろうか。

 エレベーターが一階に到着し、私は〈開〉ボタンを押して最後に出る。

 急に不安に駆られて、今日中に終わらせようと思っていた仕事を明日に持ち越して早く帰ろうと決めた時、ちょうど退社時刻が重なって人の出入りが多いエントランスにそぐわない甲高くて弾むような声が響いた。

「ママ!」
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